□〇〇七
「はぁぁぁ~……」
シャーラのいる窓口を前に、エリシアは豪快なため息をついていた。
「今日、ここに来てもう何度目? 夕べは上手く行ったんじゃなったの?」
次の任務で使う弾などの追加分を受け取りに、エリシアはシャーラの元を訪れていた。
シャーラの言葉に、エリシアは顔を覆う。
「それがさ……あぁ……」
「ふむ。ことを始めたはいいけど、失敗しちゃっていう感じ?」
「近いかも、それに」
「えぇっ、ちょ、詳しく聞かせなさいよっ」
思わず大きくなったシャーラの声に、周囲にいたエネスギア人の視線が集まった。
「しっ、シャーラ声が大きいっ」
「ご、ごめんつい! ――で、実際にどうだったわけさ?」
「それは……」
「キスくらいはしたんでしょう?」
用心深く周囲をうかがい、自分への注目がないことを用心深く確認したエリシアは、こくんと小さく頷いた。
「やったっ! ついにじゃない! どうだったどうった?」
「どうだったって……真っ暗だったし。よくわかんない……」
「ま、まぁそういうものか。で、で? 次は次は?」
「う、うん……それが……」
顔をこれ以上は無理というほどに真っ赤にし、腿の間に挟んだ両手をもじもじとさせながらエリシアが言う。
「一度好きって言ってその……か、勝手にキ、キスしちゃってからその……何か止まらなくなっちゃって……」
意味ありげなエリシアの態度に、聞き手のシャーラも前のめりになる始める。
「ほうほう、ほうほうそれでそれで! 止まらなくなって!?」
「な、何回もユーリに好きって言っちゃって、そのたびにその……た、たくさんキスしちゃって……」
「んなっ! そ、それは熱い! それでどうした!?」
「唇とか、ほっぺとか、耳とか首とかにキスしてて、わたしもどんどんおかしくなってきちゃって……」
「お、おぉおおお……!」
「そうしたらユーリが急にわたしのことをぎゅってしてきて」
「えらいぞユーリ! 朴念仁じゃなかった! それで!?」
「ユーリが『いいのかエリシア』って言うから……」
「い、言うから……?」
「うん、そのつもりだから、って」
「ちょ、わ、わかった、もうわかったエリシア!」
シャーラが突然手の平を突き出し、エリシアの話を止める。
「え? シャーラ?」
「もうわかった。なんか、ごめん。ここから先は、たぶんあたしが興味本位で聞いちゃいけない、あなたとユーリの聖域の話になる」
シャーラはがしっとエリシアの手を掴んだ。
「良くやったよ、エリシア、偉い」
「う、うん。ありがとう。わたしも頑張ったと思う。けど……」
「けどとか、そういう言葉はやめよう。後悔はない、でしょう?」
「それはそうだけど……」
「ならいいじゃないか。この話はこれでおしまい。あたしも心置きなく友を送り出せるよ。それに今日、エリシアはいつもより綺麗だ。良い女になったんだね」
「だ、だから――」
「いいからいいから。ほら、あたしからのお祝いだよ。弾は追加で四〇発。新しい弾倉もつけておいたよ。ランタンの油と着火材。それに水の洗浄剤も言われた数用意したからね」
「ありがとうシャーラ」
「ああ。今回も生きて帰ってくるんだよ。そうしたら、その話の続きを聞かせてもらうからさ」
「……うん。ありがとう、行って来ます。でもシャーラ――」
シャーラはエリシアの言葉を、笑顔と立てた親指で遮った。
エリシアももう何か言うことは諦め、笑顔で小さく手を振り、その場をあとにした。
エリシアは思う。
――言えなかった……。初めてのことだったのに、あんなすごいことになっちゃったなんて……。こんなの、もし生きて帰って来られたとしても……言えない! と。
しばらく進み、エリシアはひとり赤くなった顔を手で覆うのだった。
「よし、問題なし」
ユーリは部屋で簡易テントの確認をしていた。今回は前回と違い陣営がないため完全な野宿となるだろうと、それに備えた支度をしていた。
それもこのテントをたたみ、おおよそが終わったところだった。
そこへ。
「失礼するよ」
ルーミアが姿を現した。
「ルーミア?」
支度を終えたのか、ルーミアは魔導杖を携えていた。それ以外は相変わらずの法衣姿で、旅支度ができているようには見えない。
「支度は終わったんです?」
「敬語はいいよユーリ」
「わかった」
「支度なら終わった。エネスギア人はあまり荷物を多く持たないから」
「そういえば、そんなのあったな」
その代わりに配下の人間が持つのだ。
ルーミアもそうなのだろうかと思った時、ルーミアが開いたままのドアを指さした。
「だから最小限にまとめた」
そうは言ったが、その荷物の量は明らかに多く、十日くらい滞在するのか、というほどの量。
「……ル、ルーミア、ちょっといらない物をおいていこう」
「それなら見て。野営とかはあまり知識がなくて」
「わかった」
それから部屋の中でルーミアの荷物整理が始まった。たしかにいらない物――大型のランプやその燃料。釣り道具から皮を鞣すための道具までもが入っていた。
「これらは置いていこう。ランプはもっと小さいランタンがあるからそれで。釣りとかの道具はたぶん……必要にならないかな。鞣す道具もいらないよ」
「そうなのね。よくわからないから全部持って来た」
「……意外と用心深いんだな、って失礼」
ルーミアは首を振る。
「ううん。おかしいでしょう? 死にに行く任務なのに、生き残るための準備をしてるだなんて」
「死にに行く任務?」
「支援もない敵地の奥に、村を奪い返しに行くなんて。しかも三人。どう考えても死にに行くとしか思えない。もし村を奪い返せたとしても、維持はできない。帰ったら任務失敗になる。エリシアは隊を取り上げられるかもしれない。わたしは良くて左遷。あなたも無職になる」
「ま、まぁ普通に考えるとそうだよね」
「それに勝てるつもりでいるの? こちらは三人で」
「それは……うん。勝てるつもりでいる」
ユーリの端的な答えにルーミアは眼を丸くした。
「正気?」
「俺もエリシアも、出身の村でかなり鍛えて来たんだ。報告は見たんだろう?」
「ええ。前回もふたりで三〇〇くらいの敵兵を倒してる。その前も、一二〇とか、二〇〇とか……信じられないけど」
「俺たちのいた村は魔法は遅れてるけどな。でもちゃんと鍛えれば、帝国の寄せ集め部隊には負けないよ。寄せ集めの三〇〇人より、気持ちが通じ合った二人の方が強いんだ」
「気持ち、通じ合ってるの?」
しまったと、ユーリは思ったがルーミアは逃さない。
「あ、そ、それは……」
エリシアにもしたように、ルーミアはずいと顔を近づけてくる。
「結局のところ、どうなの?」
「ど、どうなのって……」
「結論を言って。どういう行為に及んだの?」
「だ、だからそれは――」
「前置きも成り行きもいいの。結論を言って」
「うっ」
ルーミアの眼がジッとユーリを捉えて放さない。
ユーリは少しの間視線を泳がせた後、答えた。
「ゆ、夕べはエリシアに突然キスされて……好きって言われて……」
「気持ち良かった?」
「よ、良くわかなかった……かな。初めての戦闘みたいに、何が起こってるのか良くわからなかった。エリシアもそれは同じだったと思う」
「うん。それはいいから。それで、それだけ?」
「いや……と、とんでもないことをして……今も少し、エリシアに悪いことをしたかなって思ってて……」
「そのとんでもないこととは?」
「エリシアが首とかにキスしてきて、俺の気持ちも膨らんできて、思わずエリシアを抱きしめたんだ」
「わたしの時みたいに? あれは気持ち良かった」
「そ、そんな感じ……です」
思わず敬語になってしまった。
ユーリにはその時の感触を思い出した。ぎゅっと力を込めると自分の中で形を変えるほどに柔らかいエリシアの体の感触を。それでいて反発する適度な弾力は、今までに感じたこともない存在感だった。
「抱きしめて、どうしたの?」
「いいのかエリシアって聞いたんだ。そうしたらエリシアは『そのつもりだから』って言って……」
さらにルーミアの顔が近づく。
「言って?」
「エリシアの顔をしっかり見て確認しようと思って、顔を離すために頬に触れたんだ。そうしたらそのまま、パタッと」
「パタッと?」
「緊張が限界に達したみたいで気を失うように寝ちゃって……。しょうがないから、朝までそのまま……」
ルーミアがすっとユーリから顔を離す。
「何もしなかったの?」
「い、言ったこと以上はなにも」
「…………いくじなし?」
咎められるかとは思っていたが、ルーミアの言葉は予想外のものだった。
「え、えぇ? さすがに寝ている相手に何かするのは駄目でしょう」
「起こしなさい。きっとエリシアだって不本意だったはず」
「起こすのも悪いし……」
「……良い機会を台無しにして。次はないかも知れないのに」
生きて帰って来られるかわからないのだから。ユーリにはルーミアの言葉がそういう意味に聞こえた。
「生きて……帰るから」
「え?」
「生きて帰るから、次の機会もあるよ、きっと」
すると、ルーミアはどこか呆れたように、安心したかのようにほっと息を吐き、言う。
「そうね。わたしもいるし。道中も、機会はあるだろうし。あなたたちの関係もまだ不完全なようだし」
いまいち、ユーリにはルーミアの言っている意味がわからなかった。
だがその間も荷物の選別は進んだ。
「よし、荷物はこれで大丈夫かな。八割くらいがいらないものだよ。ここにおいて行っていいから」
「慣れてるのね。何回目?」
「作戦行動はこれで九回目かな。……最初は部隊の仲間も多かったんだけど」
「……そう。この戦争は誰もが思ってる。セルフィリアは押されていて、それももう危ない、って。今まで固めていた防衛拠点がもうもたないんじゃないかって」
ハーフとは言え、エネスギア人の血が流れるルーミアからそんなことを聞くのは意外中の意外だった。――が、ユーリはこうも思った。混血として忌避されてきたルーミアだからこそ、人間とエネスギア人両方の視点を持っているのではないかと。
つまり、冷静に客観的な現状把握ができていると。
ユーリは声を潜め、慎重に尋ねる。
「じゃあこのまま行けば、共和国は負ける、と?」
ルーミアは迷うことなく、頷いた。
「そう遠くなく。ひとつの防衛拠点が破られれば、そこを起点に帝国は一気に攻勢に出る。一度ついた勢いを止めるのは相当に難しいことは、戦の歴史を見てもわかるはず」
「戦の歴史……ルーミアはそういうのに詳しいんだ」
「エネスギア人として歴史の教育は受けたから。……と言っても扱いは中途半端だったから、他の人たちほどエネスギア人の歴史なんかには陶酔していないけど」
無表情のルーミアは言葉通り、エネスギア人であることへの陶酔を感じさせない。
「今回のわたしたちの任務だって、戦略的には価値はないに等しい。現状で帝国の支配下にある土地の奪還とは言え、拠点になるような場所ではないから。だって村の少し先は峡谷でしょう?」
ルーミアの指摘通り、村の戦略的な価値はユーリにもわからなかった。何か貴重な産業があるとも聞いていないし、地理的に見ても行き詰まった場所だからだ。
これはただ自分たちを始末するための口実なのかと思うのが一番納得のいく答えだったし、おそらく本当にそれ以上はないのだと、ユーリもルーミアも思っていた。
だが、それでも。
「でも、命令は命令だから行かないといけないから」
ユーリのその言葉に、ルーミアは頷く。
「わたしもそのつもりだから。あなたたちみたいに夢なんてないけど……何か変わりそうな気がしてる。あなたといると」
「俺と?」
ルーミアは頷く。
「こんなひどい任務にも前向きだなんて。おかしいもの。絡まれてるわたしを助けたりするのもおかしい。だから何か、今まで違うことになるんじゃないかって」
「そう、かな?」
「うん。そう思う。それに――」
ずいと、ルーミアが顔を近づけてくる。
「そ、それに?」
「わたしは死ぬ前に男の人と気持ち良いことがしてみたい。相手はあなたがいい。だからその機会も、あると思うから、何か変わりそうって思ってる」
そんなことをルーミアは平然とした真顔で言う。
「それは……う、うん、まぁ……お手柔らかに」
「柔らか? わたしを触った時、柔らかかった?」
「な、なにを突然?」
「あの子みたいに胸はないけど、全然ないわけじゃないし。どうだった?」
「お、覚えてないです」
思わず敬語になる。
確かにあの時のルーミアとのこと、感触までも覚えているかと聞かれると記憶が危うい。
しかしながら、感触と聞き夕べのエリシアの感触を、ユーリは不覚にも思い出してしまっていた。
すると。
「夕べのあの子のとのことは覚えているのに?」
「うっ」
「図星だった? でもわかった。より強い印象を与えれば覚えるということ。それにずっとわたしのことを考えていれば、あなたもその気になるということ」
ずいっと、ルーミアはさらに顔を近づける。ユーリは思わず体を引いてしまったが、ルーミアはすぐに姿勢を戻した。
「そのためにも、より印象の強い時を狙うことにするから。今は安心して」
今は、という単語が強調されたように聞こえたが、ユーリはほっと安堵の息を漏らした。
その時。
「ただいま。あれ、ルーミア?」
ちょうど、補給物資を受け取りに行っていたエリシアが戻って来た。
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