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グレイトオブエネスギアー旧章ー第九話
小説旧版グレイトオブエネスギア「第九話」

  【〇〇九】

 雨脚が弱まって来たのは、もうすぐ日が暮れそうという頃合いだった。
 ユーリたち三人はエムール大森林の入り口に達していた。

「今日はこの辺までにしておきましょう。不慣れな森に、夜入るのは賢い選択とは言えないからね」

 と、エリシア。

「そうだな。あの大きい木の下あたりで夜明けを待とう。雨も防げそうだし」

 ユーリはさっそく、夜明かしをするのに適した場所を見つける。
 今日は二度の遭遇戦以外で戦闘はなかった。比較的順調な開始となったと、エリシアは思っていた。

「今日はここに泊まるの?」
「そうよ。泊まるというか……朝が来るのを待つ、っていう感じね。交代で起きて、見張りをしないといけないから」
「なるほど」

 うんうんと、何かに納得したようにルーミアが頷いた。

「それとお待ちかねの食事だね。ルーミア、お腹空いたんじゃないか?」

 ユーリは腰を下ろすための布を広げながらそんなことを言う。ルーミアは素直にうんと頷いてた。
 エリシアは雑嚢から堅焼きのパンと二種類のチーズの塊を取り出した。ユーリも布を敷き終えると、同じく雑嚢から干し肉と干し果物数種類を取り出した。
 三人とも食べ物を前に、思い出したかのように空腹感を覚えた。


 ユーリは火を起こし、干し肉と森の入り口で摘んだ香草を入れて簡易的なスープを作った。そのままでは堅くて塩っぱいだけの干し肉も、煮込めば柔らかくなり、塩気もスープには良い味となる。

「ふあぁ……」

 スープをひとくち飲んだルーミアが、思わず感嘆の声をもらしていた。

「美味しい」
「そう言ってくれると助かるよ。作戦中とは言え食事は大事だからな。気持ち的にも」
「ユーリはいつもこうなの。行軍中でもめんどくさがらずに一手間かけるのよ、食事には」
「料理好きなの?」
「特に好きってわけじゃないけど。美味しい物食べた方が良く戦える気がしてね」

 即席で作った串に、薄めに切ったパンを刺して炙る。同時に、チーズは厚めに切って同様に炙り、パンには焦げ目が、チーズは柔らかくなった頃合いで挟んで食べるようにした。

「はいルーミア」

 出来た物を、エリシアがルーミアに手渡す。

「ありがとう」

 さっくりとしたパンの歯ごたえと、とろっとしたチーズの酸味、ほどよい甘みが今日の疲れを流していく。
 今まで食べたどの食事よりも美味しい、ルーミアはそう感じていた。

「ところでルーミア」

 食事の途中、エリシアが切り出す。

「なに?」
「今日のあの魔法……あれって、召喚魔法……よね?」
「うん」
「契約召喚……でしょう?」
「ううん。紋章召喚」
「げっ」

 紋章召喚という言葉を聞き、思わずユーリはそんな声を上げてしまった。エリシアは驚きの声こそ出さなかったが、眼を丸くしてルーミアを見ている。
 エネスギア人が得意とする『召喚魔法』の中でも『紋章召喚』は高位の魔法とされている。ユーリもエリシアも、間近で見るのは初めてのことだった。

「あれって、魔方陣とかが必要って聞いたけど」

 いつの間に描いたのだろうと思いユーリが尋ねると、ルーミアは傍らに置いていた魔導杖を手に取った。

「この杖に刻んであるから、新しく描く必要はないの」
「そんなに小さくても効果あるのね」
「うん。これはそのための魔導杖でもあるから。一般的な『契約召喚』と同じ原理で呼び出したものを、紋章の力を使って強化する……それが『紋章召喚』」

 そのことはユーリもエリシアも、知識としては知っていた。

「なるほどな……ああして間近で見るとその強さを思い知らされるな」
「そうね。いつもは遠くで、何をしているまではわたしたちに良くわからなかったし」

 ユーリたちはいつも、エネスギア人の召喚士が召喚を行うための時間稼ぎであったり、撃ち漏らしの始末だったり、あるいは作戦失敗時の撤退の殿(しんがり)だったりした。だから間近での詠唱や召喚されたものの姿や威力などは報告の中でしか知らなかった。
 ましてや『紋章召喚』となると戦略規模での召喚という認識がユーリとエリシアにはあった。

「ルーミアはもしかして、すごい召喚士なのか……」
「ちょっとユーリ、失礼でしょ」
「あ、ごめん」
「ううん。実を言うと紋章召喚を行ったのは今日が初めて」
「「え?」」

 ユーリとエリシアの声が重なった。

「知識としては知っていたけど、使う機会がなかったから。実戦も始めてだし。エネスギア人の教養として召喚魔法は習うのだけど、いつものは……失敗した振りをし続けてきていたから」

 その言葉に、ふたりはルーミアの複雑な事情を垣間見た。
 純血主義の強いエネスギア人社会で生活するルーミアは、その実力を発揮してしまうことは生活の不便を強いられる理由とされたのだろうと、容易に想像がついた。要するに、嫉妬の対象となってしまうのだと。

「じゃあ、紋章も独学で?」
「うん」

 エリシアの問いに、ルーミアはこくんと頷く。

「魔導杖には自分で施した。わからないように気を付けながら」
「これだけの実力があっても……か」
「そうね。生まれの良さがなければ、努力も実力も評価はされないのね」

 呆れるように言うふたりだが、ルーミアに対しては親しみの情が込み上げていた。
 それを知るはずもなく、ルーミアが言う。

「わたしは評価されたくて魔法を覚えたわけではないから。ただ、やったらできた、覚えられただけっていう感じ。使う機会なんかないって思っていたから」
「天才肌だな」
「今回はその才能に助けられたわ。ありがとうルーミア」
「本当に?」

 ルーミアは首を傾げる。

「もちろんよ」
「……なら良かった。ユーリもエリシアも強いから、わたしも何かしないとと思ってやっただけで……」
「良い判断だったわ。あの視界じゃわたしの銃や魔法では狙えないもの」
「そうだな。俺も追いつけたかどうか。助かったよ」
「それなら……うん、良かった」

 気のせいか、いつも無表情のルーミアの顔に笑顔が浮かんだかのように見えた。

「これは大きい戦力ね」

 エリシアは思いがけない戦力強化に、安堵を覚えていた。

「それでルーミア、魔力の消費はどう?」
「それなりに大きいけど、あのくらいならもう少しだけ長く召喚を維持することはできそう」
「さすがに万能ってわけではないのか」

 ユーリが干し果物をエリシアとルーミアにわけながら言う。

「俺は魔法関係はほとんど使えないし、疎いからよくわからないけど、そういうものなんだな」
「どれも一長一短よ。魔法は下位から高位まであるけど、威力や利便性と共に消費魔力や詠唱が増える。これは最高位の魔法と言われる召喚魔法も同じよね。高位になればなるほど消費魔力も、使える条件や人もどんどん限られてくる」
「なるほどな。そう聞くと、俺は剣の方が性に合ってるってことになるな」

 ユーリがルーミアに苦笑しつつ、干し果物を食べて見せた。ルーミアも釣られて食べてみたが、その甘酸っぱさに思わず眼を閉じる。

「こ、これ」
「甘酸っぱいだろう? 疲れをとるにはこいつが一番なんだ」
「そうね。わたしは好みの味なんだけど。……って、そう言えば見張りはどうする?」
「ひとりで十分だろう。火は細めに残すようにしよう。俺が先に見張るから、ふたりは休んでくれ」
「わかったわ。じゃあ次はわたしが起きるから、その後はルーミアに任せていい?」
「もちろん。見張りもできると思う。たぶん」
「一応、周囲に鳴子を作っておくから。休める時に休むのも戦いの内だから、しっかり休んでくれよ?」
「うん、わかった」

 ルーミアが頷くのを見て、ユーリは鳴子を設置に立ち上がった。もう何度もやってきた、手慣れた作業だ。
 これから夜明け近くまでの、夜明かしとなる。


 ――エリシアとルーミアは並ぶようにして横になる。するとすぐに寝息が聞こえて来た。
 ルーミアはわからないが、エリシアは寝てこそいるものの、周囲に異状な気配があればすぐに起きてくる。体はしっかりと休ませつつも、意識は半分ほど起きているような状態だ。
 そんな中、ユーリは剣に砥石を当てている。
 ユーリが持つ剣のひとつは故郷から持って来た、出所のわからない剣。銘もわからない物なのだが、かつての剣の師よりもらったもので、斬れ味も強度も良い逸品だ。
 刀身の中央部には透明な石材が使われており、同様のものはユーリはもちろん、師も見たことがないと言っていた。何か特別な曰くがあるのかと思いきや、師は普通に古物市で手に入れたと話していたのを、ユーリは手入れのたびに思い出した。気に入っている。
 しかしもうひとつの剣は軍の支給品。こまめに手入れをしておかねばすぐに刃が落ちてしまう困り物で、常々なんとかしたいものと思っているものの、魔法主体のエネスギア人社会では良い剣を手に入れるのは困難なのであった。
 砥石も中々手に入るものではなく、質も良いとは言い難い。

「はぁ……こればかりは本当に困るよなぁ……」

 そもそもにして近接戦闘ではエリシアのように長銃を使うのが主流になりつつあり、次いで多いのが棍や戦斧という類い。剣を扱う剣士という存在は稀少だった。

「ま、愚痴っても仕方ないか」

 剣の曇りを磨き落とすように砥石をかけた時。

「どこかで良いのだ手に入るといいのにね」
「エリシア?」

 ふととなりを見ると、肩から毛布を巻いたエリシアがすぐ傍に来て、腰を下ろしていた。

「いいのか、寝ていないで」
「そんなに疲れていないもの。起きちゃった」
「それならいいけど」

 ユーリは再び手を動かす。エリシアはその様子をじっと見ながら、ぽつりと言った。

「あの時……」
「え?」
「あの時、気絶するように寝ちゃって……ごめんね」

 突然の話題に、ユーリは思わず手を切りそうになってしまう。

「お、あ、あ、お、おう。ま、まぁ仕方ないって、べ、別に気にしてないし、あやまるようなことじゃないよ」
「なんか中途半端になっちゃって……。ちょっと自分が情けなく思える」

 エリシアは膝を抱える。

「それに……」
「それに?」
「ユーリがその……少しでも期待……みたいのをしてくれていたら、悪かったかな、って」
「お、そ、そうだな」

 はいでもいいえでもない答えを、ユーリは咄嗟に選んでそう答えた。

「……本気だったんだ」

 ぱちんと爆ぜたたき火に、エリシアは小枝をくべながら言う。

「いつ死んでもいいように、って。当然夢は叶えたいし、そう簡単に死ぬつもりなんかないけど、後悔はしたくないから」
「……そうか」
「うん。だから、気持ちも伝えたし……しておきたいことも、しようって思って」

 独り言のように言うエリシアに、ユーリは再度そうか、と短く答えた。

「ユーリは、そういうことないの? 死ぬまでにしておきたいこととか、言っておきたいこととか」
「エリシア」
「え?」

 不意に名を呼ばれ、エリシアはどきりとしてユーリを見た。
 そのユーリは真っ直ぐにエリシアを見ながら、言う。

「おまえと会えて、こうして一緒に夢を見ながら戦えて、俺は嬉しく思ってる。生きてるっていう実感みたいのがある」
「な、なによ急に」
「これが俺の言っておきたいことかな」
「え?」
「だから夕べのことも……良い思い出っていうか……なんていうか。そりゃ、ちょっとは残念に思ったことは正直あるけど……」
「あ、あるけど?」
「や、柔らかかった」
「なっ」

 ぼんっという勢いでエリシアの顔が赤くなる。

「や、柔らかかったって……な、なにがよ?」
「エリシア全体が。おまえ、俺の上に被さったまま寝たろう?」
「う、うん」
「だからその、おまえの全身を感じたっていうか、うん、とにかく柔らかかった。ばしばし敵をなぎ倒すように思えないくらい」

 ユーリのその言葉に、エリシアは思わず吹きだしてしまう。

「なによそれ」
「手足も細いし。そうは見えなかったって」
「なっ、さ、触りまくったの?」
「まくってはいないって。さすがに一晩中だから、ちょっと動くたびにいろいろ触れたりした程度だよ」
「……そ、そう……なんかごめんなさい」
「あやるまることじゃないって」

 そこからしばし、ふたりの間に言葉がなくなった。
 シャッ……シャッという砥石の走る音だけが続き、時折、たき火がぱちんと爆ぜる音がしている。
 嫌な沈黙では決してなかった。ユーリもエリシアも、今この沈黙に安寧を感じていた。
 作戦遂行中でありながら、戦場にいながら、この一時に何よりの安寧を感じてしまうのは、ユーリもエリシアも、そこに自分と相手がいるからだと思っている。だが、それは言葉にはできなかった。
 だからその代わり――。

「ねぇ」

 エリシアが、沈黙からにじみでるような言葉で言う。

「ユーリ、もう休んだら?」

 砥石を雑嚢にしまいつつ、ユーリはゆっくりと答える。

「まだ早いだろう。エリシアこそ、少し寝ろよ」
「わたしは平気。ユーリ、夕べもその……わたしと一緒で良く眠れなかったんじゃないかなって思って」
「熟睡はできなかったけど、なんか安心できて良く休めたよ」
「本当に?」
「あぁ」
「……うん」

 エリシアは頷くと、すくっと立ち上がった。

「エリシア?」
「そ、それなら……」

 エリシアはユーリの背後に立つと肩から巻いていた毛布を広げ、ユーリを包むようにして背中から抱きついた。

「お、おいっ」
「少しでいいから……こうさせて」
「エリシア……」

 ユーリはふと不安に駆られた。エリシアはもしかして。

「ううん。恐いとか、そういう気持ちはないから」

 だが、その疑問の答えはすぐにエリシアの言葉で否定された。

「ただ……少しでもユーリの傍にいたいっていう……わがまま。ごめんなさい」
「だからあやまることは――」
「ユーリ」

 エリシアはユーリの言葉を遮りつつ、肩に顎を乗せる。

「エリシア?」
「少しだけ……勇気が出せるようになったかも」
「い、いつも勇敢だろ、エリシアは」
「そうじゃなくて。あなたに対して――」
「エリシ――ア」

 ユーリはエリシアの唇が近づく気配に、息を止めた。
 その瞬間。

「「っ!」」

 ふたりは同時に、向けられた視線に気が付きそちらへと顔を向けた。
 それはこちらへと寝返りを打ち、ぱっちりと眼を開けているルーミアだった。

「あ、どうぞ、遠慮なく続けて」
「ちょ――べ、別にそんなんじゃないから!」

 エリシアは慌ててユーリから離れる。

「お、おおう、今のはその、なんていうか打ち合わせだから」

 ユーリもなぜか動転し、しまっていた砥石を取り出し鞘の上から当て始めた。

「ううん。どう見てもそういうシーンだったから。いいよ、気にしないで続けて。見させてもらうけど」
「だ、だからそんなんじゃないから!」
「おいエリシア、声が大きい!」

 三人で迎えた野営は、そんな一幕もある一夜となった。