【〇二五】
「ん?」
ガブリアスが振り返ると、巨大な光の柱が立ち上がっているのが見えた。
陽の光の下でなお、その光ははっきりと見えるほどに強い。
「なんだあれは……」
「あの戦闘のあった谷底あたりから上がっているものと思われますが」
パルアも足を止め、後ろを振り返った。
ふたりは破滅獣との戦闘から離脱し、谷底から上へと登って来たところだった。
「強い魔力を感じる……破滅獣のものとは考えにくいな」
「では……まさか?」
「ああ。『戦渦の三凶星』が破滅獣を倒したか」
「あ、あり得るのでしょうか、そんなこと。人間ごときがあの破滅獣に勝利するなど……」
「わからん。だが感じる魔力はあの破滅獣のものとは違う気配がある。可能性としてはあの者たちが破滅獣を撃滅したと考える方が妥当かもしれないな」
そう言いながら光の柱を見ていると、それは徐々に小さく細くなって行き、消えてしまった。
同時に、ガブリアスが感じていた魔力も消える。
「撤退は遺憾だが……パルアの判断に感謝しなくてはな」
「ガ、ガブリアス様?」
「破滅獣を撃破したとなれば、我々では太刀打ちできんだろう。想像したくないが、あのまま戦い続けていたら無事では済まなかっただろうな」
弱気な内容の言葉とは裏腹にガブリアスの表情には堂々としたものがあった。
「引き際の見極めも大事ということだ。私もまだまだということか」
「そんなことはありません」
「ふふ、慰めの言葉など無用だパルア。私は運が良かった。こうして生き延びている事に加え、破滅獣発見という情報も得られたのだからな」
「しかしその破滅獣の安否は不明になってしまいましたが……」
「なに、破滅獣が見つかったということが重要なのだ。その存在が疑われていたのだ。破滅獣の発見はギ族の集落発見に匹敵する報告となるだろう。総督もお喜びになるに違いない」
「ではやはり総督は破滅獣を?」
「かも知れないな。我々の知らない、なにか破滅獣を手なずける方法があるのかもしれん。もしそれがあるとしたら、あの戦力を得られることは好ましいからな」
「あの脅威が味方になるのは心強いですが……果たしてそんな方法が本当にあるのかどうか、わたしには疑問です」
「かつて、我らが偉大なる闘神ゾディアは破滅獣を使役したと言う。いかなる方法で使役したかは私は知らないが、知っている者がいたとしても不思議はない、私はそう思っている」
光の柱が立ち上っていた場所を眺めつつ、ガブリアスは続ける。
「総督はもしかしたら、我々の知らないことまでを知っているのかもしれんな」
「……報告をしたら明かしてくれるでしょうか」
「その可能性は低いな」
ガブリアスはパルアを見、口元に笑みを浮かべた。
不意の笑みにパルアはどきりとし、言葉を失ってしまう。
「まぁ軍とはそういうものだ。知らない方が良いということも少なからずある、それだけのことだろう」
「そ、そうですか」
「そういうことだ」
ガブリアスは笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「あの双剣士も死んだとは思えんしな。この先再び相まみえることもあるだろう」
そう言うガブリアスがパルアにはどこか楽しげに見えた。
「『戦渦の三凶星』……いずれ討ち取ってくれよう」
「報告はされるのですか?」
「光の柱を見た、とだけで良いだろう。『戦渦の三凶星』など、末端で囁かれる噂程度だからな。報告したところで余計な情報とされるだけだ」
パルアにとってそれはふたりだけが共有する秘密ができたようで、嬉しかった。
軽く拳を握り、その嬉しさを噛みしめる。
「さて、帰還を急ぐとするか。我々に追撃をしかけてこないとも限らないからな」
敵前からの撤退、そして帰還であるにも関わらず、ガブリアスの足取りは軽いものがあった。それは続くパルアも同様だった。
「う、ん……」
重いまぶたを開くと、自分を覗き込んでいるエリシアと、やはりその後ろから自分を覗き込むルーミアの顔が見えた。
「あ」
「ユーリ……」
「こ、ここは……?」
「ギーファンさんの家。あの後ユーリ、倒れちゃったから運んで来たのよ」
「ギーファン?」
ベッドの上で体を起こしながら、ユーリはそう聞き返した。
「どういうことだ?」
「え?」
ユーリはやや混乱気味な視線をエリシアとルーミアに交互に向けた。
「とりあえずエリシアもルーミアも無事そうでよかったけど……あの後どうなったんだ?」
「あの後って、ユーリが破滅獣を倒してくれてからみんなで里に戻ったわ。そして今に至るわけなんだけど……」
「破滅獣? ……そ、そうか、俺、破滅獣と戦って……って、あれ、どうしてそうなったんだ?」
ユーリは手で額を押さえる。
「ユーリ?」
「……チェロリダ村が崩れて谷底に落ちて……ギ族の人に見つかってそれから……それからどうなったんだ? 次に覚えてるのは破滅獣にやられそうだったエリシアを助けて、なんだか夢中で破滅獣と戦ったくらいで……」
「お、覚えてないの?」
「あ、ああ……そうらしい」
「うそ……」
信じられない、と言うようにエリシアは目を丸くした。
「一度死んで生き返って来たんだもの。それくらいの代償はあるのかもしれない」
ルーミアは冷静にそんなことを言う。
「一度死んだ……のか、俺。そういえばなんとなく、死んだ世界でティリス様に会ったような記憶があるな」
「九天女神の?」
ルーミアが興味深そうな目を向けてくる。
「ああ。俺を創造召喚してくれるとかなんとか……」
「ユーリ、ティリス様に創造召喚されて生き返ったのね」
言うルーミアにエリシアも顔を向ける。
「そんなことってあるの?」
「わからないけど、そうとしか考えられない。一度死んだ人間が生き返るなんて不可能だけど、不可能を可能にする創造召喚の力ならあり得るかもしれない。でも生き返った代償に、少し記憶が消えたのかもしれない」
「そうか……。まぁでも生き返れるなら多少の記憶くらい安いものかな」
「ちょ、ちょっと待って。じゃ、じゃあここで温泉に入ったこと、覚えてないってこと?」
「温泉? そんなのがあるのか?」
「……や、やっぱり……はぁぁ……」
エリシアの肩ががくりと下がり、盛大なため息が漏れた。
「ど、どうしたエリシア?」
「ううん……なんでもない。なんでもないっていうことにしておく……」
「じゃあわたしがユーリの抜け落ちた記憶の部分を簡単に説明するから」
「頼む、ルーミア」
落ちた先でギルギレイア族の里を見つけたこと。そこに帝国のふたりが現れ、破滅獣も現れたこと。戦闘となり、一度ユーリは死んだということ、それらのことをルーミアは簡単にユーリに説明した。
「なるほど……。断片的に覚えていることもあるな。破滅獣との戦闘のこととか、帝国のやつらのこととか……」
「もしかしたら、時間が過ぎたら記憶も戻るかもしれない」
「だったらいいんだけどな」
「う、うん……」
エリシアは神妙な顔になって頷いた。
「じゃああの帝国のやつらは逃げのびたってことか……手強かったからな。また会うことを考えると気が重いな。さすがは『不死の双角』ってところか」
「また会うことになるかな?」
ルーミアがそう聞くと、ユーリはベッドから抜け出しながら答えた。
「ああ。なんだかそんな気がしているよ。どこかで決着はつけなくちゃいけないという気もね」
「ユーリ、もう立って平気なの?」
「いつまでも寝てるわけにいかないからな。用が済んだら長居は無用だろ?」
「それもそうね。破滅獣も倒したし、里の安全も確保した。合わせてチェロリダ村も開放したことになるし……教会将校様的にどう?」
「うん。問題なく目的は達成されたと思う」
「なら良かった。――って、破滅獣を倒したなんて言っても誰も信じてくれないだろうな」
「それもそうね」
ユーリがそう言って笑うと、エリシアも釣られて苦笑した。
そんなふたりを前に、ルーミアはふところから赤黒い石を取り出した。
ユーリがすぐにそれに気が付く。
「ルーミアそれは……」
「破滅獣がいたところに落ちてたの。気になるから拾っておいた。破滅獣が消えるまで見かけなかった物だし。なにか関係があるのかもしれないと思って」
ルーミアが持つ石はユーリの記憶にもあった。それはたしかに、破滅獣が消えるのと入れ替わるようにして目の前に現れた物だ。まさかルーミアが拾っていたとは。
石を前にエリシアが首を傾げる。
「それってなんなの?」
「わからない。ただ気になったから拾っただけで……」
ルーミアが言葉に困っていると、部屋のドアが開きギーファンが姿を現した。
「おお、勇者殿は気が付かれたか」
「勇者殿って……」
「ユーリ。こちらがさっき話したギーファンさん。すみませんギーファンさん。ユーリ、少し記憶が抜け落ちているみたいで」
「なんとそんなことが……。まぁあれほどの力を使ったのだ、その代償と考えればいたしかたないじゃろう――む、それは?」
と、ギーファンはすぐにルーミアが持っていた石に目を奪われた。
「なにか知っているの?」
「そ、それをどこで……?」
ルーミアが答える。
「破滅獣が消えたのと入れ替わるように落ちていたの」
「いや、まさか……」
ギーファンはなにかに狼狽えるような様子を見せる。
「な、なにかまずい物なんですか?」
エリシアが問うと、ギーファンはううむと唸り、黙ってしまった。
皆が沈黙する中、視線はルーミアが手に持つ石に集まっている。
そしてその沈黙を破ったのは、ギーファンだった。
「儂も言い伝えでした聞いたことはないのじゃが……その赤黒い色、破滅獣の後に出ていたということを考えると……それはアヴェリスタの破片かもしれんな」
アヴェリスタの破片――その名を聞き、ユーリたち三人が顔を見合わせる。
誰も知っている者はいない。
「それは一体何なんですか?」
代表するように、エリシアが問う。
「儂も詳しいことは知らぬが……破滅獣の核となる存在の物で、とてつもない魔力を秘めている……というくらいしか知らんのだ」
「魔力を? なにも感じないけど」
手にしているルーミアが石を見つつ首を傾げる。
この石からは魔力はまったく感じられない。
「なにかの間違いでは?」
「……だと良いのじゃが。アヴェリスタの破片はその強大な力故に、儂らギ族の間では凶兆の石と言われておる。その石には使い方があるのだとかいう言い伝えもあるのじゃ」
「これが……」
ルーミアは手の上の石をジッと見つめた。
赤黒い光沢を持つその石は、普通の石と比べると軽いように感じられた。
「じゃあこれ、破滅獣を倒した証拠になるかな」
「え?」
ルーミアの発言にエリシアは目を丸くした。
「だって破滅獣なんてずっといなかったんだもの。戦って倒してきたなんて報告しても信じてもらえなそうだから。これを証拠にすれば、そう報告もできるかな、って」
「それもそうね……。証拠がなければ信じてもらえそうもない話だものね。もっとも、報告する相手が破滅獣とアヴェリスタの破片のことを知っていれば、だけど」
「知っておるじゃろう。少なくとも、エネスギア人の中には知っている者がいるはず。儂らより詳しく知っておるじゃろう」
「ならよかった」
エリシアは安堵の息をついたが、ギーファンの顔は険しかった。
「しかし……破滅獣やアヴェリスタの破片の出現……合わせて勇者の出現もあったが、一体世界はどうなっているのやら」
「勇者か……」
ユーリは思わず自分の手を見た。
あの時、破滅獣と戦っていた時のような力は今は感じられない。そばにティリシュベルトからも、特に力を感じるようなことはなかった。
今はまるで、役割を終えたという感じに静かになっているように思えた。
「勇者殿、体に何か変化はござらんか?」
「今のところはなにも。って、勇者殿はやめてください」
「なに、この里を破滅獣の脅威から救ってもらったのじゃ。勇者殿くらいがちょうど良いじゃろう」
ギーファンはにこりとしてそう言った。
「遠巻きに戦いを見させてもらったのじゃが、勇者殿の輝石剣は姿を変えておったように見えたのじゃが」
「はい。戦闘中、急に。こんなこと、今まではなかったのに」
「やはりその輝石剣もただの輝石剣ではないようじゃな」
ユーリはベッドわきに置いてあった輝石剣を手に取った。持った感じ、やはり特に変わった様子はない。
「使い手の力量に応じて、求める力を発揮する……その剣を造った者はとんでもない達人じゃ」
「そんなにすごいものだったなんて……」
「無銘と聞いていたが……ギ族の里の代表として、また今回の礼としてその剣に銘を送らせてくれんかのう?」
「それはこいつも喜ぶかと。今まではただのいい剣だって思ってたし」
「ふぉふぉ、勇者殿の使用に耐えられたのも逸品である証拠じゃて。――さて、銘の方じゃがギ族の代表のひとりとして、ギ=ソエルの銘を送らせてもらうよ」
「ギ=ソエル……」
「古いギ族の言葉で『ギルギレイアとの絆』という意味じゃ。我々を助けてくれた勇者と交流を持てたことに、儂らは誇りを持ちたいと考えての」
「素敵な名前ね」
エリシアはユーリに笑顔を向ける。
「ギ=ソエルか……。ありがとうございます。銘と一緒に、大事にします」
「なに、今まで通りに使うのが良いじゃろう。その剣は勇者殿に使われたがっているようじゃし。なにしろ剣が姿を変えるなど滅多にないこと。剣の方も、勇者殿を良き使い手と認めているということじゃろう。勇者殿の師匠は勇者殿がここまで成長することを見越して、その剣を託されたのかもしれんな」
「そう、かな」
「ふふ、そんな師匠には見えなかったけどね」
「だよな」
エリシアの言葉に、ユーリも思わず笑顔を向けた。
「じゃあユーリ、エリシア、そろそろ行こう。早く帰って報告をしないと」
「了解」
「そうね。ではギーファンさん、いろいろありがとうございました」
「なに、お礼を言うのはこっちの方じゃよ。チェロリダ村は残念なことになったが、儂らも復興には助力しよう。ここに避難してきた村の者たちも、それを望むじゃろうからの」
「村のことは帰ってから報告しますので。でも復興支援は……期待できるかな」
人間の村落に対してエネスギア人たちがどう反応するか。
エリシアは今さらになりそんなことが気になった。
「エネスギア人はいつの頃からそうなってしまったのかの」
エリシアの胸中を察し、ギーファンは悲しげな顔をした。
「おぬしたち、そんな場所にいては大変じゃろう。こんな少人数で任務に当たるなど、まともな命令とは思えん……」
そう言われ、エリシアとユーリは思わず苦笑してしまった。
「でも、やっていかないといけないんで。これからもやり続けるつもりです」
「そうね。わたしもそう思ってます。ルーミアは今回からの参加だけど……頼りになるって今回のことでわかったし。一緒にやっていけると思うから」
「ありがとうエリシア」
「なんと強い者たちか……。さすがはあのゾーン・グール・グレイブに恐れず立ち向かっていった者たちということはある。じゃが、この先も命を粗末にすることはないようにの」
そう言って優しさを見せてくれたギーファンに見送られるように、ユーリたちはギ族の里を後にした。
ギバ渓谷の底から地上へと上がり、半分ほど崩れてしまったチェロリダ村の跡地へと戻ってきた。
「よかった、荷物は無事だったか」
ユーリは地上に置いていた荷物を確認する。置いた時と変わったことはなく、復路にも問題なく対応できそうだった。
「食料はギーファンさんからもらってきたしね」
「ああ。なんだかんだで結構世話になっちまったな」
「そうね……。温泉もあるいいところだったから、来られるのならまたゆっくり来たい場所かも」
「温泉なんかあったんだ」
「ユーリも入ってるわよ。覚えてないだけで」
「覚えてないなら入ってないのも同じだな……」
「ふふ、そうかも」
笑いながらエリシアは荷物を背負い、地図を取り出す。
「来た道を戻る感じで行きましょう。それが早いと思うから」
「あ、そういえば」
荷物を背負ったユーリはふとなにかを思い出したかのように言う。
「死んでる最中、ティリス様を見たんだけど、ここに来る途中の教会で会ったティアルが、実はティリス様だったって言ってたな」
「え?」
「それ本当?」
信じられない、という表情をしたエリシアを横にルーミアがぐいとユーリに近づく。
「わたしも会いたい!」
「俺もよくは覚えてないけど……また教会に行ったら会えるかもな」
「女神様に会ったなんて信じられないけど……今回の任務は信じられないことの連続ね。じゃ、帰りに教会にも寄って行きましょう」
――と、三人は来た道を引き返すように歩き始めた。
途中、帝国側からの包囲や追撃を警戒したものの、そのような様子は見られなかった。
しかし地図に記した教会の場所に行ってもそこは木々が生い茂っており、教会の姿は痕跡すらなくなってしまっていた。
まるでここにあの教会があったことが、まぼろしであったかのように。
だが、そこで手に入れたティリシュベルトはたしかにユーリの手にあった。
三人は女神様には容易く会えないのかと思い、そのまま先へと進むことにした。
こうして、三人の帰還をもってヴァイツ隊に課せられた今回の任務は無事に終了となった。
帰還したエリシアはチェロリダ村で遭遇した破滅獣とギルギレイア人の里があったことを報告することになるのだった。
そしてルーミアの手により、エネスギア人たちのもとにはアヴェリスタの破片と目される石が持ち込まれることとなった。
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