□〇〇五
「本日を以てヴァイツ隊に教会将校として配属された、ルーミア=アーク=リファリーバ中尉。以後、よろしく」
エリシアは差し出された手を軽く震えながら握り返した。
「こ、光栄です中尉。教会将校がお見えになることはた、大変な名誉で……」
と、教科書通りの対応をするエリシアは声まで微かに震えていた。
「エリシア=ヴァイス。ユーリ=ファルシオン、本当にふたりだけの部隊なのね」
「はい。補充の要請は出しているのですが、受理が遅れているようでして」
本当は黙殺されているのだが、エリシアはそれを遠回しに言った。
「死ぬのには相応しい環境。わたしがここに配属された理由もわかった」
「え?」
「ごめんなさいヴァイツ少尉。わたしはご覧の通り、人間とエネスギア人の混血。この部隊に配属された理由はやっかい払いのため。先に言っておくわ。次に来る任務でわたしたちは死ぬことになる」
唐突な告白に、エリシアはぽかんとなってしまった。
――場所はユーリとエリシアの部屋。座卓を挟み、三人はなぜか正座をして話をしていた。
沈黙が続いたため、ユーリは小さく手を挙げた。
「あの、教会将校殿。ひとつよろしいでしょうか?」
ルーミアはこくんと小さく頷く。
「言っていることの意味が、いまいち理解できません」
「簡単な話。わたしも、あなたたち人間と同じくやっかい者ということ。だから体よく戦死ということにしたいだけ。教会将校が殉死したという物語を添えて」
真顔で淡々と、まるで他人事のように言うルーミアに、ユーリはこれ以上何かを言うことができなかった。
代わりに、今度はエリシアが口を開く。
「危険な任務ということはわかりました。ですが、どのような任務であれ、わたしは必ずや部隊を勝利へと導きます。ご安心ください」
これも教科書通りの返答をしたエリシア。そんな彼女に、ルーミアはずずっと顔を近づけた。
「これはそういう意味ではないの。本当に、そのままの意味。だから――」
「だ、だから?」
思わずおうむ返ししてしまったエリシアに構わず、ルーミアは続ける。
「しておきたいことはしておこうと思ったの」
「し、しておきたいことと……言いますと?」
「決まってる。気持ちいいこと。あなたも、彼としているんでしょう? 気持ちいいこと」
ぼんという音が聞こえそうなほどに、一気にエリシアの顔が赤くなった。
「んなっ――」
「わたしもその経験をしておきたかったの。せめてそういうことくらい、一生に一度くらいはしておきたいもの」
「し、ししし失礼ながら! わたしだって経験はまだありませんからっ!」
「あら? そうなの?」
「そうですよ! どうしてそう思ったんですか!?」
話の内容が突然すぎるせいか、エリシアの言葉が乱れてしまっている。だが、ルーミアがそれを気にする様子はない。
「最初この部屋に来た時、裸のあなたを裸の彼が寝室へと運んでいたから。違うの?」
「そ、そ、それはそうですけど、ちょっと違います! べ、別にユーリとはそういう関係ではありませんっ」
「そうだったのね。それは失礼したわ。――でも、わたしたちはいつ死ぬかもわからないということだけは覚えておいて。だからあなたも、したいことはしておきなさいね。今日はこれでわたしは戻ります。それでは、ごきげんよう」
そう残し、恭しくお辞儀をしたルーミアが去って行った。
ユーリは今さらになり、彼女の育ちの良さ、品格の高さを思い知った。
やっかい者などと言われているが、イメージの中にあるエネスギア人に近い礼節をルーミアは持っているように思えた。
ルーミアが去ったあと、いきなりエリシアが斬りかかってくるような視線をユーリに向けて来た。
「な、なに?」
「あの子と何かしたのっ!?」
「し、してないよ、本当になにも」
「本当に!?」
「本当だって」
冗談でも何かしていましたと言ったらすぐにでも斬られるか撃たれるか、最悪両方と言った形相だったエリシアも、ユーリの受け答えを聞いて少し落ち着きを取り戻す。
「……信じるしかないか。それにユーリにそんな勇気があるなら……って、思っておこ」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん。教会将校が配属されるなんて最悪ね、ってこと」
「ああ。でもイメージにある堅物とは随分違ってたな……って、おい?」
エリシアはなぜかジト眼で頬を膨らませている。
「な、なんだよ?」
「気に入ったの? あの子のこと」
「そうは言ってないよ。立場場、もっと厳格な人って想像していただけであって、それ以外の意味はないって」
「ならいいけど」
「なんだ? どうして機嫌悪い?」
「悪くないわよ!」
「な、ならいいけど……」
ユーリは思う。
ふたりだけの部隊とは言え、そこに教会将校が来たとなれば自由はなくなる。今まではふたりだから切り抜けられたという場面も少なくない。それに「鈍り」が出るという懸念をしているのかもしれないと。
しかし実際は、単なる嫉妬であった。
……あの子みたいに大胆になれればわたしだって……。そう思うとどうしても頬が膨らんでしまうエリシアであった。
――夕飯を終えたその夜。
二段ベッドの上のエリシアは何度目かの寝返りを打っていた。
友人のシャーラも、教会将校のルーミアも、やりたいと思うことはやれる時にやっておくようにと釘を刺していた。
エリシアはやはり、ユーリに気持ちを打ち明けたいと思っている。
だけどどう伝えたら良いか。それ以前にどう切り出したら良いものか。いや、切り出しさえできればあとは上手くできそうな気がする。
そう思い、何度も寝返りを打っている。
一方、彼女の寝返りは下にいるユーリにはすべて知るところになっている。
何かに悩んでいるのかと思い、ユーリは優しく声をかけた。
「エリシア。眠れないのか?」
「えっ」
「……教会将校が来たって、俺たちは俺たちだ。生き残って夢を叶えるために、今までどおりにやろうぜ」
「う、うん」
明日にはまた任務が下るかもしれない。
ならば本当に、今しかない。
エリシアはそう思い、覚悟を決めてベッドから身を乗り出し、下のユーリを覗いた。
「ねぇユーリ」
「ん?」
「き、聞いて欲しいことがあるの。いい?」
「おう、何でも聞くぞ。どうした?」
「あのね、今日シャーラにも言われたんだけど……中尉も言ってたことなんだけど……」
エリシアらしくない歯切れの悪さだと、ユーリは思った。
立場は隊長であり、軍学校の同期ではトップの成績を誇る彼女であるが、時折不安に駆られる時もあるということを、ユーリは知っている。
「あぁ。なんて言ってたんだ?」
「……いつ死ぬかもわからないから……やりたいことはやっておいた方が良いって」
「あ、あぁ、い、言ってたな。って、シャーラも言ってたのか」
「あ、あのね……あの……」
次の言葉まで、間が空いた。
ユーリはエリシアが何を言おうか、見当もついていなかった。だけど何か言いづらいことを言うのだということは察し、黙って彼女の言葉を待った。
そしてしばらくの時が流れ、エリシアは言う。
「わたしね、ユーリが好きなの」
突然の言葉に、ユーリは間の抜けた声が出た。
「…………お、あ?」
「と、突然こんなこと、ごめんなさい。ずっと言おうと思ってたけど……今まで言えなかったの」
言いながら、エリシアは上から降りて来た。
「だ、だからどうして欲しいとかってことじゃないから……ただ、知っておいて欲しかったの。いつ死ぬかとかわからないから……伝えたいことくらいは伝えておきたいと思って」
あまりにも突然のことに、ユーリの頭は追いついていない。
「そ、そうか……」
「だからねユーリ」
降りてきたエリシアはユーリのベッドの上に乗り込んで来た。
さすがにユーリも慌てて身を起こした。
「ちょ、ちょっとエリシア!?」
「な、何も言わないで」
ぎしっと、ベッドが軋む音を立てる。
ユーリの心臓はおかしいくらいに加速している。
「ずるいかもしれないけど……ごめんねユーリ」
四つん這いになっているエリシアの胸元は広く開いており、エリシアの大きい胸が暗闇の中に見えてしまう。
「エ、エリシア……?」
「いつ死んでもいいように、ユーリのことだけはしっかりと覚えさせて」
「だ、だけど――」
「ごめん。わたしが頑張るから、ユーリはジッとしてていいからね」
「そういうわけにも――っ!?」
顔を近づけられたかと思った瞬間、ユーリはエリシアに唇を奪われた。
ふわりと柔らかな感触と、甘く爽やかなエリシアの香りがユーリを包んだ。
「ユーリ、大好き。わたしの最後の時まで、ずっとそばにいてね」
エリシアに抱きつかれるようにして、ユーリはベッドに押し倒された。
そしてユーリは思う。
これがエリシアの覚悟なら、受け入れよう。
俺たちの命は、いつ消えるからわかない。
そんな価値しか与えられていない。それならせめて、今やりたいことを、できることをやるべきた。
――と。
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