□〇〇八
戻って来たエリシアを含め、出立前に宿舎の外で装備の再確認が行われた。
武器は、ユーリはいつも通りふた振りの長剣を装備。エリシアはひと振りの長剣と長銃を携える。ルーミアは魔導杖を持っていた。
「ルーミアは魔法師?」
「うん。攻撃系と召喚魔法を覚えてるから、それなりに戦力にはなるかと」
「しょ、召喚魔法?」
細かい種類はあれど、召喚魔法は最も高位の魔法とされている。攻撃や攻撃補助、防御に至るまで『召喚』と名の付く魔法はその名の付かない魔法と比べ桁違いの威力を発揮することで知られている。
現状ユーリもエリシアも、召喚魔法が使えるのはエネスギア人のみであるという認識だったので、ルーミアの発言には少しだけ驚いた。
「驚いた? ハーフでも召喚魔法が使えるって」
「正直言うと少しだけね。それと、まさかわたしの部隊に召喚魔法を使える人が来るなんて夢にも思ったことないから、驚いたわ」
「でも連続では使えないから覚えておいて」
「わかった。ユーリもそのつもりで。頼りすぎないようにね」
「ああ、大丈夫だ。ルーミア、魔法以外に得意はある?」
「杖術も少しはできるけど、剣士のような働きは期待しないでくれると助かる」
「それはわかってるよ。じゃあ、基本的にルーミアの魔法を俺とエリシアで援護する形かな」
「そうしましょう。乱戦になったら、とにかくわたしかユーリから離れないようにしてね」
エリシアにそう言われ、ルーミアは不思議そうな顔をする。
「どうして?」
「どうしてって、危ないからに決まってるでしょう?」
「ああ。同じ部隊の仲間を危険にさらすわけにはいかないからな」
「仲間……エリシアもそう思ってるの?」
「もちろん」
エリシアも笑顔で頷くが、ルーミアの顔は相変わらず不思議の色を浮かべている。
「そう……なの? 恋敵じゃないの?」
「なっ」
エリシアの顔が一瞬ひきつる。
「そ、そうは思ってないから。と、とにかく、教会将校様でも同じ部隊にいる以上は運命共同体でしょう? 戦力も多い方が、生き残る確率は高くなるし」
「うん。それにやっぱり、全員で生還したいし。ルーミアのことは俺もエリシアもしっかり守るから」
「あり……がとう」
ルーミアは照れたのか、顔を伏せてしまった。
実際のところルーミアは生まれて初めての『仲間』という感覚に軽い困惑を覚えていた。
今までやっかまれること、疎まれることはあったものの、『守る』と言われたことはなかった。
これから死ぬのだという覚悟はあったのだが、ルーミアは不思議な安堵を覚えつつあった。
「ユーリ、その他の装備も大丈夫?」
「おおよそいつも通りに。抜けはないはず」
「ありがとう。じゃあユーリ、ルーミア、出発しましょうか」
「おう」
「わかった」
――こうして、三人は基地を出、目的地へと向かうことになった。
携帯用の小さい地図とコンパスを片手に持ち、エリシアが先導。天気も良く、小鳥のさえずりも聞こえ、任務でなければ絶好の散歩日和と言えた。
基地の外には麦畑風景が広がる。基地周辺は安全性も高いことから、基地内の主食を賄う農地となっている。
青々と茂る麦畑の中には、何やら作業をしている農民たちの姿がちらほらと見える。
そんな風景を、ルーミアは珍しそうに見ている。
「畑が珍しい?」
ユーリが聞くと、ルーミアは小さく頷いた。
「あまりこういう場所には来たことがないから」
「お屋敷育ち?」
と先導のエリシアが聞く。
「うん。そんな感じ。あまり出歩く自由もなかったから」
いつもと変わりなく淡々というルーミアであったが、口調はどこか悲しげだった。
その後は農地帯を抜け、小さい川をいくつか渡り、草原広い草原へと出る。
草原が一望できる小高い場所に立ち、エリシアは一度足を止めた。
「ここが、わたしたちの居た北部前線基地の西に広がる、バモレ大平原。この平原を渡った先は帝国領で、帝国の基地があるわ」
エリシアは地平線の向こうを指さし、そう説明する。
「わたしたちは西に直進して来たけど、ここで進路を北寄りに変えて、基地北部のエムール大森林に入る。このエムール大森林とギバ渓谷の境が、わたしたちが目指す村、チェロリダ村よ」
得意げに説明をしたエリシアに、ルーミアは首を傾げた。
「……地名が覚えられない」
「だ、だから、これからエムール大森林に入るの。ほら、あそこから森になってるでしょう? そこを奥へ奥へと進むとギバ渓谷っていうところがあるの。その渓谷と森林の境目くらいに、チェロリダ村っていうところがあって――」
「うん、行き先はなんとなくわかった」
もういいから、という感じでルーミアは話を少し無理矢理に切り上げる。
ルーミアには地図を任せない方が良いと、ユーリもエリシアも思った。
今、ユーリたち三人はバモレ大平原を進んでいる。見渡す限りの平野だが、所々にはユーリたちの姿を隠すほどの茂みがある。そこに姿を隠しつつ、あるいは敵の気配を探りながらの進行となっていた。
ここは帝国と共和国の、いわば緩衝地帯となっている。いつ、敵の哨戒部隊と遭遇戦になってもおかしくはない場所だ。
実際、この近辺での遭遇戦の報告は珍しくなく、所々には戦闘の痕跡も見受けられる。
空気が次第に緊張感を増し始めた時、戦闘を行くエリシアが突然『止まれ』の手信号を出し、その場にしゃがんだ。
ユーリと、少し遅れてルーミアも姿勢を低くする。
「敵の気配。数は……そう多くないわね。哨戒部隊でも規模が小さいわ」
言うエリシアの傍へと、ユーリは姿勢を低くしたまま近づいた。
「見えるか?」
「ううん。けど、見える? 右手奥の茂み。今あの辺りにいるわね。まだたぶん、こっちには気が付いていない」
「どうしてわかったの?」
這うようにふたりの傍へやってきたルーミアが尋ねる。
「気配ね。あとは茂みの揺れ。風の揺れ方とは違うから」
エリシアは奥の茂みから視線を動かさずに答えた。そして。
「仕掛ける?」
短くはっきりと、エリシアは聞く。
「少し様子を見るか。遭遇戦の多い場所とは言え、哨戒部隊が戻らないとなれば森の捜索も強化されるかもしれない」
「……最悪」
エリシアは唇を噛んだ。彼女にはひとつの懸念があった。それは地図で確認した帝国の監視塔だった。ここで戦闘になれば、場合にはよって監視塔から気付かれるかもしれないという懸念だ。
だが。
「大丈夫だエリシア、仕掛けるにしても敵の目を気にする必要はなくなる」
「どうして?」
「見ろ。天気が崩れる。もうすぐ降り出すぞ」
空を見上げると、先ほどのまでの好天とは打って変わり、黒い雲が張り出して来ていた。
遠くの空で雷の音がしたかと思うと、ぽつぽつと雨が降り出し、それはすぐに本降りとなった。
雨の中でも、エリシアは気配を感じ取る。
「来るわ。近づいてる。監視塔から離れてるルートを動いてるから……出た部隊ね」
「仕掛けるか。待ち伏せして一気に仕留めよう。数はまだわからないか?」
ユーリは背中の荷物を降ろしながら聞く。
エリシアも同じく、荷物を降ろしながら答える。
「わからないけど、多くても八人はいないわね。そこまでの規模じゃないわ。銃は使わないでおくから」
「わかった。ルーミア、ここは俺とエリシアで仕上げる。魔法は万が一の時まで使わないでおいてくれ」
「うん。わかった」
聞き分けの良い子どものような返事に、エリシアが顔を向けた。
「恐い?」
「ううん。不思議と恐くない。なんでだろう?」
「それは……」
なぜだろうかと、ユーリが適当な答えを出せないでいると、エリシアがどこか楽しげに答えた。
「勇気があるのね、ルーミアは」
と。
実際、エネスギア人は勇敢ではある。だが初の実戦となると種族に関係なくすくんでしまうものが多い。
ルーミアはそれがなく、落ち着いている。視線も迷うことなくエリシアと同じ方向に固定され、手に震えもない。
覚悟が決まっているのかと、ユーリは内心思った。そして自分も戦いに備え、剣の柄に手を乗せた。
――少しの時が流れると、雨音の中にがちゃりと鎧の擦れる音が混ざった。悪天候に油断したのだろう。気配が強まる。
「見えた。数は五匹。軽武装のゴブリン族」
「こっちへ来るか?」
「ええ。この真横を通過する」
「挟撃できないのは残念だけど、側面から一気に仕掛けるか。俺が三、エリシアが二を頼む。先手は任せた」
「わかったわ」
ジッと身を潜める三人に、鎧の音と足音が近づく。相手同士の間隔はかなり狭く、哨戒とは思えないほどに密集していることからユーリは相手の練度を伺い知った。大した相手ではないだろう、と。
エリシアが伏せるように身を屈める。ユーリとルーミアもそれに習うとすぐ、相手の先頭が視界に入った。
深緑の肌を持つゴブリン族。帝国から支給されたであろう粗雑な鉄製の防具を身についている。ゴブリン族は小柄で知られ、ルーミアよりもさらに頭ひとつほどに小さい。しかし、凶暴だ。恐れ知らずな性格でもあり、繁殖力も強いため前線を歩かせるには最適な種族と帝国も思っているらしかった。
「ギ、ギギ」
「ギギギギ」
ゴブリン族の話し声が近くで聞こえてくると、エリシアはユーリにさっと目線を合わせ、小さく頷いた。
その直後、無言で飛び出すなり一匹目のゴブリンを斬って倒した。
エリシアのその行動が合図となり、ユーリも飛び出した。同時にふた振りの剣を抜き放ち、瞬きの間に二匹を斬り倒した。ルーミアの眼には、ユーリが立ち上がった瞬間にゴブリン二匹が倒れたかのように映った。
「ギッ!」
残されたゴブリンはこの辺りでようやく襲撃されたことに気が付いた。が、その瞬間にはエリシアの剣が喉に突き刺さっていた。
一矢報いようとでも思ったのか、斧を振りかぶった最後の一匹もあっけなくユーリに斬り伏せられる。
と、物の数分もかかることなく、ユーリたちは五匹のゴブリンを始末した。
「ふぅ、これで全部か」
「密集していてくれて、やりやすかったわね」
剣の血を払い飛ばし、エリシアはハッとなってルーミアを見た。
「ご、ごめんさい。勝手に行動を決めてしまって……」
ルーミアは教会将校だ。本来であればこういう場合、交戦するか否かの判断もルーミアに仰がねばならないのが決まりだ。
「ううん。構わない。反教会でも、反信仰的でもない正しい判断だったから。それに、ふたり、強いのね」
「ま、まぁこれくらいは」
ユーリは剣を鞘へと収めながら答えた。
「エリシアも、容赦なかった」
「それは、だって、一瞬でも迷ったらこっちがやられるから」
エリシアの答えに頷きつつ、ルーミアは倒れたゴブリンたちを見ている。
「何か気になることでも?」
「ううん。特に。戦闘って早いなって思ったくらい」
ユーリの言葉にルーミアは落ち着いてそう返した。
初めての戦闘を経験した者の中には、戦闘が終わってから恐怖に駆られて動けなくなってしまう者もいる。だがルーミアにその心配は無用だった。
ルーミアはエリシアへと顔を向けると、落ち着き切った雰囲気で言う。
「交戦が発生したから、ルートの迂回を提案させてもらう」
「賛成ね。ここから少し距離をあけましょう。移動の痕跡もなるべく残さないように」
「そうしましょう」
「わかった。じゃあ引き続きエリシアが先導してくれ。間にルーミア、俺が最後尾を行く」
ユーリが最後尾を行くのは後方への警戒と、歩き慣れないルーミアの痕跡を消して行くためだった。
三人はルーミアの提案のように、ルートを迂回させることとなった。
雨で見通しは悪いが、ルーミアははぐれることなく、エリシアの後を着いていく。そして歩けば歩くほどにエリシアの歩き方を覚え、草を潰す、足跡を残すなどの痕跡が残らなくなっていく。
先頭のエリシアも、最後尾のユーリも、ルーミアの物覚えの良さには天性のものを感じ始めていた。
そんな矢先。
「伏せてっ」
エリシアが小さい叫びを上げた。
ユーリはすぐにそれがゴブリン族との接触だということがわかった。ゴブリン族特有の腐臭のようなものを感じたからだ。つまり、かなり近い。
「近いな!」
「待って、まずい、気付かれてた! 追いかけるからルーミアはここにいて」
先ほど倒した哨戒部隊の別働隊だったのだろうか。なぜ別働隊を出していたのかは今は良いとして、早急な始末が要求された。
「数は何匹?」
「三匹。姿を確認したからこっちも見られてる。参ったわね……地の利はあっちがありそうだから急いで追いつかないと」
エリシアが長銃を背中から前に回しながら言う。
「いい? ルーミアは動かないで」
「動かないけど……この距離なら、たぶん」
「先に行くぞエリシア」
ルーミアの言葉を無視するように、ユーリはゴブリンの追撃を始めた。すると、ルーミアが魔導杖を構え、軽く眼を閉じる。
「我(ディア)、契約に基づきて力の行使をここに宣言する(アステムス・ザン・クラーバリ・アルラード)――」
魔導杖に刻まれた不規則な文様。それに手を添え、エリシアにとっては耳慣れない言葉をルーミアが口走った。エリシアはすぐに気が付く。
「こ、これって……!」
「大気を鳴動させし根源よ(ロムルヌ・バス・エネス)、我が意に沿い形を成せ(ディア・マジェス・マロゥリア・スクム)。大翼を持ち牙を走らせよ(ガウィング・ドゥクー・ラジェツト)、雷を操り我が脅威を撃滅せん(ライオール・ディア・バルバラディアス)――我が魔力を以て契約を果たせ(ディア・マジェスティ・アステムシア)、紋章を通じ(ハール・レーン)――顕現せよ(ギア)!」
魔導杖の刻まれた文様に、びりびりと青白い光が走る。
「重雷鳥(ライオーバルド)!」
魔導杖をかざすと空間が避け、カッと雷光が起こった。そして次の瞬間、エリシアの目の前には雷を纏う怪鳥が出現していたのだ。
「これって……しょ、召喚魔法……!」
エリシアの言葉には答えず、ルーミアは続ける。
「行きなさい。逃げたゴブリン族を撃滅しなさい」
「ギュシャアアアア!」
重雷鳥という名を冠したその獣は咆哮を上げるとゴブリン族が逃げた方へと飛んでいった。
ちょうどその頃、ユーリがゴブリン族に追いつくというころだった。相手は三匹。いずれも足が速い。追いつくかどうか、ユーリがそう思った時、彼の頭上を重雷鳥が飛び抜ける。
「な、なんだ!?」
次の瞬間、重雷鳥はゴブリン族に追いつき、手近の一匹に掴みかかった。
頭上からの爪による一撃は鈍色の鎧ごとゴブリン族一匹の体を斬り裂いた。即死だ。
残る二匹は臨戦態勢を取った。頭上からの敵襲に対抗しようとしたのだが、襲い。
「ギュガァアアア!」
雷鳥の咆哮が稲妻となり、一匹を一瞬で黒焦げにした。残った一匹が、ゴブリン族にしては珍しく恐怖でのすくみを見せた。雷鳥はそこを見逃さない――いや、そんなことは関係なかった。
巨大な翼を一度はためかせると、そこから跳んだ鋼鉄のように鋭い羽根がゴブリンの首を飛ばし、全てが終わった。
ユーリはその光景を呆然と眺めるしかなかった。
「こ、これって……」
目の前にいる異形の怪鳥。魔力の雷を纏う姿を見て、ユーリはつぶやく。
「召喚……魔法か……」
すると、どーんという落雷が雷鳥に落ち、その姿が消える。
残されたゴブリンの死体はどれも落雷に遭ったかのように、黒焦げになっていた。
ユーリは思った。今のは落雷ではない。雷鳥が雷へと還った、いわば昇雷であったのだ、と。
その後ルーミアと合流すると、呼び出した本人は普段と変わらない無表情をしていた。
「どうだった?」
聞くのはエリシアだったが、おおよその状況は理解している様子で、落ち着いている。
「あぁ、あっという間と言うか、圧倒的だった」
ルーミアを見ると、彼女はぽつりと言った。
「わたしの紋章召喚。ふたりの実力を見せてもらったから、わたしも見てもらった」
「……まったく」
エリシアがそう言って苦笑したので、ユーリも釣られて笑ってしまった。
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