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グレイトオブエネスギアー旧章ー第十一話
小説旧版グレイトオブエネスギア「第十一話」

  【〇一一】

あまりにも突然だったので、三人は一斉に飛び退き、声をかけてきた主に対して身構えてしまった。
 そしてすぐに、それが不要の警戒だと気が付いたのは、その人物が修道服を着ていたからであった。

「ごめんなさい、急だったもので驚いてしまって」
「失礼しました」
「ごめんなさい」

 三人が武器を降ろして謝ると、修道服の人物は優しく微笑みを返した。

「いいえ。こちらこそ不用意に声をかけてしまい、失礼をいたしました」

 修道服の女性は恭しいお辞儀をする。

「セルフィリア共和国の軍の方とお見受けいたしますが……」
「はい。わたしたちは今作戦行動中で……。あの、ここに、地図にない教会を見つけたもので」

 すると、修道女は一度教会を振り返り、ふふふと微笑んでから答える。

「そうでしたか。地図にない教会ですものね、ここは。ですがご安心ください。ここは由緒正しきマールセルフィリア正教の教会です。お見受けしたところずぶ濡れの様子。中で暖を取って行ってください」

 その言葉は微塵の疑いも持てぬほどに安らかなもので、三人とも素直に言葉に従うことにした。

「申し遅れました。わたしは当教会の修道女、ティアルと申します」

 おっとりとして礼儀正しいティアルに、三人も名前を名乗った。部隊名や目的等は作戦の都合上、言ってしまうことは控えるとエリシアは判断する。

「申し訳ありませんシスター。わたしたちはセルフィリア共和国軍北部前線基地の者です。しかしそれ以上は申し上げることができません」

 教会に従事する者であっても、種族への差別意識が変わることはない。そのことを知っていたエリシアは頭を下げ、ティアルにそう申し出た。

「ええ、構いません」

 すると、ティアルはにこにこという微笑みでエリシアの言葉を受ける。そして優しい表情のままに続けた。

「マールセルフィリア様の慈愛は広く平等です。遠慮せずに、当教会にてお休みくださいませ。雨も今夜には上がるとの見通しですので」

 マールセルフィリアとは、その名の通りマールセルフィリア正教の信仰の中心であり、セルフィリア共和国の国名もそれに由来する存在。
 慈愛と友愛を説いた女神とされ、エネスギア人は例外なく、この女神を厚く信仰しているとされていた。
 エリシアとユーリはこの時、彼女こそマールセルフィリアではないかと思うほどの慈愛を感じていた。
 しかしルーミアだけは、エリシアやユーリとは違った、どこか興味深そうな視線をティアルに向けていた。

「あの、どうかなさいましたか?」
「シスター、すごくおっぱい大きいなと思って」
「え」

 ティアルはハッと眼を丸くし、胸を隠すように自身を抱く。

「もう、ルーミア、何を言ってるの」

 エリシアの言葉には耳も貸さず、ルーミアは自分の胸に手を当てている。

「わたしも慈母神でおられるマールセルフィリア様を信仰しているのに、なんかこう、見た目的に母性っぽいのが足りない気が……」

 そんなルーミアにも、ティアルは優しく微笑む。

「ふふふ、そんなことはありません。教会の騎士たるあなたのことを、きっとマールセルフィリア様は見ておられるでしょう。母性とは内に秘めるものですので、見た目は関係ありません。ですがあなたの祈りは必ずや、マールセルフィリア様に届くものでしょう」

 と、ティアルはルーミアの前で祈るように手を組んで見せた。

「さぁ、教会へお越しくださいませ。つかの間ではありましょうが、英気を養ってくださいな」

 ティアルの案内で、三人は教会へと通されることとなった。
 その途中。

「ねぇユーリ、地図に載っていない教会って……どう思う?」
「隠し教会とか、そういうのなのかもな、って。厳しい修行をしているとか、密かに何かを研究しているとか、教会にも事情があるのかもしれない」
「そうだとしても、どうしてわたしたちを素直に受け入れてくれるんだろう?」
「それは……あのシスターも言ったように、平等の慈愛なのかもな。今はそれを信じるしかないだろう」
「ま、まぁそれもそうね」

 納得したように見せるエリシアであったが、周囲に漂う微かな魔力のようなものを感じとっていた。
 自分よりも魔法を得意とするルーミアもおそらくは感じているのだろうと思うも、そのルーミアに警戒の様子が見られない。そのことが、エリシアが警戒を緩める要因ともなった。


「お帰りなさいませティアル様」

 礼拝堂への扉を開くと、数人の修道女が出迎えた。種族はエネスギア人もいれば、人間もいた。

「ただいま戻りました。共和国の兵の方々をお連れしています。暖炉に火を入れ、何か温かい物を用意して差し上げてください」
「はい、ただいま」

 ティアルの言葉に、修道女たちはてきぱきと行動を起こしていく。
 そんな様子を見て、ユーリはティアルへと尋ねる。

「あの、ここはどういう教会なのですか? ここは共和国の支配地域でもないですし」
「これは失礼しました。不安になられるのも無理はないですよね。この教会は秘密の教会なのです。ゾディア帝国の方々にも、セルフィリア共和国の方々にも、容易には見つけられないようにしてあるのです」
「容易には……」

 どういう意味だろうかと思案しているユーリに、ティアルはパチンと片目を閉じ、微笑む。

「真の勇気を持つ者でなければ、この教会は見つけられませんので」
「え」
「さぁ、暖炉にも火が入りました。そこで濡れた衣服を乾かしてくださいね」

 そう残し、ティアルは礼拝堂の奥にある扉から出て行ってしまった。
 暖炉のおかげで、礼拝堂はすぐに暖かくなってくる。

「不思議な人だな……あのシスター」
「ユーリ、胸ばかり見てるんじゃないでしょうね?」
「ばっ、な、何をいきなり!? シスターだぞ、そんなことできないよ」
「うんうん。見るならエリシアのにしないと、ヤキモチ妬かれるよ」
「ルーミアも何を言うのよっ。もう、最近はちょっと気が抜けるとすぐにこれね」

 あきれ顔ではあるが、エリシアも緊張感は解けていたようだった。
 暖炉の暖かさも、三人の気を休ませてくれた。
 そんな中、ルーミアはひとり礼拝堂の中央まで進む。そこにあるマールセルフィリアを象った彫像の前に跪き、手を組み合わせて目をつぶり。

「七守護神が偉大なる慈母神、我々を愛し、我々が愛するマールセルフィリア様。今日までの慈しみと友愛に感謝をいたします。今日、この時の暖かさに感謝いたします。そして願わくは、多くの同志のため、我が任務が無事遂行できますことに加護を賜りくださいませ――」

 流れるように、淀みない祈りの言葉が捧げられた。
 祈るルーミアの姿は普段とは違い、どこか神々しさが感じられる姿をしていた。
 教会将校とは本来教会を守るためだけの騎士であったとされている。ユーリたちと比べて信心深いと言われても、それが当然のこと。
 そんなルーミアの姿を見て、ユーリとエリシアも彼女の後ろに跪き、言葉にこそしなかったものの、手を組み合わせ、今日の出来事に感謝を思い、祈りとした。

「ふたりとも、きちんとお祈りした?」
「ええ、したわ」
「ああ、ルーミアほど上手くはできないけど」

 エネスギア人はまめに教会へ通い祈りを捧げているが、ユーリたち人間にはそこまでの習慣はないため咄嗟に祈りの言葉など出てこない。
 しかしルーミアもそんなユーリたちを咎めることなく、羽織っていたマントを脱ぎ、暖炉の炎の前に広げる。

「わたしも、あまり上手な方じゃないから」
「そうか? 上手く出来ていたよ。聞き入った」
「……ありがとう。上手くできないけど、毎日お祈りはしてきたから。教会の者として」
「そのルーミアでも、この教会のことは知らなかったの?」
「うん。たぶん、こういう教会は各地にあるのだと思う。ここのシスターはエネスギア人だけど、わたしたちが知るエネスギア人とは違うでしょう?」
「ああ、かなり違う印象を受けたよ」
「だから、そういうことなのかもしれないって。……正直、今のエネスギア人はマールセルフィリア様の慈愛と友愛を理解しているとは思えないから……。それなら、ここのシスターたちの方が慈愛と友愛を理解しているって感じた」

 そう述べるルーミアを、ユーリとエリシアはぽかんと見てしまった。

「どうしたの?」
「あ、いや、そのなんて言うか……」
「う、うん。ルーミアってやっぱり教会に仕える、教会将校なんだって思える意見だったから……」

 その言葉に、ルーミアは頬を膨らませた。

「むぅ。不敬って言っちゃうよ?」
「はは、ごめんごめん」

 そんな話の中、服が乾いてくる。そのタイミングを見計らっていたかのように、ユーリたちの前には温かい飲み物を持ったティアルが現れる。

「お祈りもしていただけたようですね」

 三人はお礼を言いながら、温かいカップを受け取る。

「はい。日頃からしていないから上手くできませんでしたが」
「いえ、上手い下手などはありません。大事なのは感謝の気持ちですから」

 ティアルはそう言いながら、穏やかな表情で彫像を見る。

「慈母神マールセルフィリア様。彼女には熱心にその教えを受け継いだ弟子がいたって」

 ルーミアがそんなことを言うと、ティアルはなぜか驚いたようにルーミアを見た。彼女の言ったことは特別なことではなく、マールセルフィリア正教を知る者ならば皆が知っている神話の一部だ。

「……女神ティリス様。わたしが最も尊いと思っている勇敢な女神様」
「そう、ですか」
「はい」

 ルーミアとティアルの会話は言葉こそ少なかったものの、きっと多くのことが通じ合ったのだろうと、ユーリたちには感じられた。

「旅の兵の方、次の夜明けには雨も上がります。この先はギバ渓谷となり、見通しが悪いと危険ですゆえ、今宵はお泊まりください」
「ありがとうございます。では、この礼拝堂の一部をお貸しいただけますでしょうか?」
「旅の兵の方に礼拝堂で休んでもらうわけにはいきません。空き部屋ならばたくさんありますから、どうぞご利用してください。今、温かいお風呂の用意もしておりますので」
「お風呂……それは嬉しい」

 ルーミアはいつもの無言ながらにも、瞳を輝かせていた。


 日が暮れる頃、ユーリはひとり礼拝堂で装備の確認をしていた。剣は使っていなくとも、作戦行動中である時は、確認を怠らないようにしている。
 そんなユーリのいる礼拝堂に、ティアルが姿を現した。

「外の雨は止んだようです」

 ユーリは立ち上がり、ティアルにお礼を言う。

「ありがとうございます。夕飯までお世話になってしまって。作戦中にこんなに良い待遇を受けることなんて初めてです」
「ふふ、それは何よりです。ところで剣士様。お改めいただきたい物がこちらにあるのですが、よろしいでしょうか?」
「え?」

 それはティアルがどこか重そうに抱えている、綺麗な真っ白の布袋に包まれた物。ユーリにはそれが剣であることがわかった。

「剣、ですか」
「はい。長くこの教会に置かれていた物なのです。古い伝えによると、なにやら持ち手を選ぶという物らしく。今朝の頃から気のせいか、この剣がそわそわとしているように思えてまして」
「中を見てもよろしいですか?」
「もちろん」

 布袋から取り出すまでもなく、ユーリにはこの剣の素晴らしさを感じ取ることができた。
 理想的な重量バランスは、今までに扱ってきた剣の中でもトップレベルに良い。今使っている支給品の剣とは比べるまでもなく、もう一方の剣にも匹敵するものだった。

「これは……」

 袋から出し鞘を見る。鞘に細かい意匠などはなく、教会に保管されているとは思いにくい、ややすれば無骨と言ってしまえるような物だった。
 これは確実に実戦向きの剣だ。ユーリはそう思った。

「抜いてみてください」
「失礼します」

 ユーリは断りを入れ、鞘から剣を引き抜く。
 ほとんど抵抗なく剣は抜け、その刀身の美しさに一瞬で心を奪われた。

「すごい……」

 そうとしか、言葉が出ない。重量こそはあるものの、重量バランスが整っているために重さによる威力を殺すことなく軽量化が施されている。素早い刺突はもちろん、重い斬撃も難なく繰り出せることが予想できる。
 それよりもユーリが驚いたのは、刃の鋭さだった。見た目に刃こぼれや劣化もなく、斬れ味の良さがわかる。しかし。

「とても良い逸品です。しかしこの剣は……金属なのか、石なのか……」

 素材の雰囲気は見たこともない。ユーリの持っている無名の名剣もそれは同じなのだが、こちらの剣もわからない。

「わたしも詳しいことは存じませんが、これは良い物なのですね?」
「はい。ものすごく。きっと名のある鍛冶士が打ち、名のある剣士の方が使っていたのでしょう」

 ユーリはその剣を鞘へと収め、ティアルへと手渡した。
 すると、ティアルはそっと目を閉じた。

「そうですか。では剣士様、こちらの剣をお納めください」
「え?」
「きっとこの剣はあなた様と出会うために、今日までの間ここで眠っていたのでしょう。あなたは真の勇気を持つ者――これも導きなのでしょう」
「真の勇気……」

 開き、真っ直ぐにユーリを見るティアルの目は、まるでこの世の全てのことを、これから起こることすらも見通しているように見え、ユーリは思わず背筋を伸ばしてしまう。

「これから先、あなた様方には多くの試練が訪れる。今ある力以上の力が必要になることも少なくないでしょう。ですが苦難と困難は必ず、それを乗り越えることができる者の前にもたらされます。その苦難と困難を前に、何をするか。人は常にそれを試されるのです」

 まるで祈るように、ティアルは言う。

「その時に、あなたはこれまでもそうしてきたように、これからも勇気のある決断をし、行動していくことになるでしょう。その時の力として、きっとその剣はあなた様の願いに応えてくれるものと思います」

 穏やかなティアルのその言葉に、ユーリは神々しさすら覚えた。今まで真面目な信仰などを持ったことなどなかったユーリであったが、まるで女神の前にいるように錯覚し、思わず跪いてしまう。

「け、剣士様?」
「い、いえ。自分は今、とても大切なことを言われた気がして……」

 これから自分は夢を叶えるまで、楽な道だとは思っていない。
 だけどどんな困難も乗り越えようという気持ちは確かにあった。それが今、ティアルに出会ったことで、揺るがない物へと変わったような気がしている。
 声はどこまでも優しく慈愛に満ち、女神マールセルフィリアが実際に目の前にいるのならば、きっとそれはこのティアルのような人に違いないとさえ思えていた。

「勇気とはとても崇高なもの。誰しもが持っていますが、誰しもが呼び起こせるものではないと、わたしは教わってきました。ユーリ=ファルシオン。あなたはその勇気を使いこなせる可能性に満ちた人。どうかこの剣をお納めください」
「このユーリ=ファルシオン、決して勇気を忘れないようにします」
「この剣、銘を『女神の聖剣(ティリシユベルト)』というそうです。あなたの無事と夢の実現を願うわたしの祈りと共に、お受け取りください」
「受け取らせていただきます」
「はい。勇気を忘れないこと、わたしとの約束ですからね」

 ぱちり、ティアルは片目を閉じて見せた。
 母性の溢れる人なのだが、時々幼い仕草も見せる。
 そんなティアルはユーリへの用事が済むと、礼拝堂を後にする。

「明日は早くに立たれるのでしたらば、今日は早めにお休みくださいませ」
「はい。ありがとうございます」
「では、失礼します」

 ユーリは会釈でティアルを見送る。
 ティアルの姿が見えなくなったのを確認し、ユーリは剣を剣帯に差し、柄に手を添える。

「ティリシュベルト、か」

 そして――軽く息を吸い、吐き出しながら剣を抜き放つ。

「はっ!」

 抜剣からの刺突。そこから軽く振りかぶり、縦に振り切る。

「この剣……何なんだ?」

 まるで意識の通りに、剣の方から動くような感覚があった。それは手との一体感、持ち味の良さから来るものだろうとユーリは納得した。
 試し切りをせずとも、この剣の良さがわかる。
 刃には曇りのひとつもない。まったくの新品のような美しさを保つ。そして剣という武器でありながら、優しく穏やかな、まるでこの剣を手渡した、ティアルのような雰囲気を感じられる。

「ま、さすがにそれは気のせいか」

 鞘の位置を軽く調整し、ユーリは自分にあてがわれた部屋へと引き返すのだった。