【第四話 勇気と価値】
【〇一七】
「こ、ここは……」
ユーリが目を覚ますと、そこは建物の中ということがわかった。木造の、簡素な作りの部屋で、自分はベッドに寝かされている。
立とうとしてみたが、全身の痛みがそれを邪魔した。
「くっ……」
ユーリはそのままでこれまでの事を思い出そうとした。
異形の化け物に出くわし、割れた地面ごとギバ渓谷をへと落下したこと。そしてその渓谷の底で一度は立ち上がり、ギルギレイア人に会ったということ。
「そ、そうか。じゃあここは……ぐっ」
「ほほぅ、さすがは剣士。もう起き上がろうとするか」
部屋の戸が開き、ギルギレイア人の老人が姿を見せた。
「じ、自分はユーリ=ファルシオン。共和国の軍人です。傷の手当てはあなたが?」
「儂はギーファン。見ての通りのギルギレイア人じゃよ。傷の手当ては若い衆にやってもらった。この老体では三人を運ぶのは無理じゃからの」
「三人……。エリシアとルーミアも無事なんですか?」
「もちろん。お主が一番重傷と言えば重傷じゃな。エネスギア人の血の入った少女はまだ目を覚まさぬが、ほとんど無傷じゃよ。人間の少女も一度目を覚まし、お主の無事を知ると気を失うようにまた眠ってしまった」
「それは……良かった」
安堵の息を漏らしつつ、ユーリはベッドに座るように体を起こした。
「ここは……」
「ギバ渓谷の底にある、我らギルギレイア人の隠れ里じゃ。帝国支配下になってしまってからはひっそりと、気付かれぬように生活をしていたのじゃ。上の、チェロリダ村との交易を密かにしながらの」
「そうだったんですか……」
「ふぉふぉ、軍人とは言え初耳でも無理はなかろう。我らギルギレイア人は滅多なことでは多種族の前に姿を現さぬからの。他の里との交流も密やかに行っておる。上の喧噪とは縁遠くありたいと、いつも願っているよ」
上の喧噪。それはゾディアス帝国とセルフィリア共和国の戦争のことだと、ユーリは思った。
ユーリの知る知識では、ギルギレイア人は中立。この戦争のどちらに組することもなく過ごしてきていると聞いていた。
「しかし最近になって帝国の連中が我々を探しておるようなのだ」
「ゾディア帝国が?」
「さよう。我らの精錬技術を欲してのことらしくての。すでにいくつかの里が攻め入られ、武力による支配を受けたという話も聞いている」
「それであいつらもここに……」
ユーリの頭に浮かんだのはガブリアスとパルアの姿だった。連中は何かを探しているようだったか、それはおそらくこのギルギレイア人の里を探していたのだと思い至った。
「ここに至る道はそう容易くは見つかるまい。いや、見つかったとしても辿り着くことはできんだろう」
ギーファンの顔に暗い影が落ちる。
「それは……どうしてです?」
「お主たちも上で出くわしたのではないか? あの異形の怪物に」
「あっ……あれを知っているのですか?」
「知っているとも……。あれこそはこの地で長く眠っていた破滅の化身……破滅獣じゃ」
「破滅獣……」
それは現実味の薄い言葉ではあったが、あの脅威的な姿を見た今でなら、その存在に納得することができた。
「我々の言葉で『人を喰らいし脅威の獣』という意味の、ゾーン・グール・グレイブと呼んでいる、忌まわしき存在じゃよ」
「ゾーン・グール・グレイブ……」
「目を覚ましてからこの周辺をうろつくに留まっておるがの。あやつがチェロリダ村を襲った時、住民をこの里へと避難させたのだ。この里の周辺は鉱石含有の都合、あやつも容易くは近寄れないようなのでな」
「そうだったんですか。それで村には人がいなかったのか」
「うむ。しかし地上へ通じる道がちょうどあやつの巡回路になってしまっていてな。地上に出ようにも、助けを呼ぼうにも、それができぬ事態になっておったのじゃ」
ということは、自分たちも地上へ向かうのは容易いことではないということ。
「……状況はわかりました。帰りは自力でなんとかするとして……とにかく、助けてくれてありがとうございます」
「ふぉふぉ、丁寧なお礼なら先に目を覚ました少女にされたよ。なんでもこの三人だけの部隊の隊長だとか。気丈なものだ。ギルギレイア人では戦事は男の仕事。女子を戦場に送るなどはせんのだが、上の連中はそうではないと見える」
それについては、ユーリは苦笑するしかなかった。
すると、ギーファンの目がベッドの脇に立てかけてあった剣へと向いた。
「ひとつ、良いかなユーリ殿」
「なんでしょう?」
「あの輝石剣はどこで、いや、どう、手に入れなすった?」
「これは剣の師匠から。軍学校に入るために村を出た時の選別にもらいました。特に銘はないって聞いてます」
「なるほど。師から弟子へ……か」
ギーファンは頷きながら、どこか懐かしい表情になっている。
「この剣について、何か知っているのですか?」
「それならば、抜いて見せてもらっても構わぬかね?」
「もちろん」
ユーリは手を伸ばして剣を取り、鞘から抜いて見せた。
「……谷底でも見たが、この剣は紛れもなく、我らギルギレイア人の鍛えし刃。それも今は失われた、古き技術によって生み出されたもの……それに違いない」
「えっ、そんなにすごい物だったんですかこれ?」
「ふぉふぉ、すごい物かどうかは使い手しだいと言ったところではあるがの。物として見れば古き良き逸品ということじゃろう。我らは土や鉱石の扱いに長じる。エネスギア人が魔導に長けるように、儂らはそういうものに長じておる。その技術を使い、鉄よりも強い石を作り、それを使い剣を打った物を石(せき)剣(けん)と呼ぶ。その中でも特に優れた物、より強くできた物を『輝(き)石(せき)剣(けん)』と呼んでおるのじゃ」
「……これが、ギルギレイア人の作った物だったなんて……」
「普通、儂らの世界以外には流通しない物じゃからのう。お主の師はどこかで我らの一族との繋がりがあったのかもしれんな」
「謎の多い人でしたから。時々ふらっといなくなることもあったし」
「ふぉふぉ、剣の師ともなれば、いろいろとあるのじゃろう」
「そうですかね」
ユーリも笑顔を見せた時、部屋の戸が軽くノックされた。
「はて、何用かな?」
ギーファンが振り返る。静かに開いた戸からは、おそるおそる中を覗くエリシアの姿が見えた。
「エリシア!」
「ユ、ユーリ!」
ユーリの姿を見るなりエリシアは飛び出し、ユーリへと抱きついて来た。
「ぐぇっ!」
抱きつかれたユーリは全身に激痛が走る。
「良かった、起きなかったらどうしようかと思って――ユーリ……」
「わ、わかった、大丈夫だから離れてくれ」
「あ、ごめんなさい。ギーファンさん、失礼しました」
「なに、お主らもあやつの被害者。それにチェロリダ村に近づいた帝国兵を追い払ってもらったのだ。これくらいはしても当然の範疇じゃろうて」
「ありがとうございます」
エリシアは深々と頭を下げた。
「ユーリ殿の怪我は思いの外に大きい。まだすぐに動くことはできないだろうから、ゆっくりと休んで行くが良いぞ。うちの裏手には怪我に良く効く温泉もある。そこに浸かれば回復も早まるだろうから、後で行くと良いかもしれんな」
ギーファンはそう残すと、部屋を出て行った。
「とにかく、無事で良かったユーリ」
「エリシアこそ」
「わたしたちを庇うように落ちたから……いろいろぶつかって怪我しちゃったみたいで……ごめんなさい。自分の身は自分で守れるつもりだったのに」
「大丈夫。まだ死んでないしな」
「うん……本当に、良かった……」
言うエリシアの目には涙がたまっているように見えた。
「エリシア?」
「べ、別に泣いてなんかないからっ。……って、そんなことをより聞いた? あれ、どうやら破滅獣みたいっていうこと」
「ああ、さっき聞いたよ。まさか破滅獣に出くわすことになるなんてな」
ユーリは気楽そうに言ったが、状況は深刻だ。
「戻るにしても、破滅獣との遭遇は避けられないと思った方が良いかもしれないわね」
「そこは……なんとかするしかないな」
「そうね。なんとかするしかないわね」
「今までみたいにな」
「うん。今までみたいに」
ふたりはようやく、安堵したような笑顔を見せ合った。
まだ生きている。
ならばできることはある、と。
すると、エリシアが何かに気が付いたように目を丸くする。
「そうだユーリ」
「どうした?」
「温泉、入ってきたらどう? 怪我の治りも早くなるって言ってたし」
「それもそうだな。いつまでもここにやっかいになるわけにいかないし。怪我の治りは早い方だけど……ここはその温泉の効能を頼ってみるか」
「うん」
――ユーリはエリシアに付き添われるように、外へと出て来た。
今は夜。谷底の里は本来ならば真っ暗のはずなのだが、地面の所々に点在する光茸の光で、明るかった。
「幻想的な光景だな、ここ」
「そうね」
温泉へ向かうと言ったら、ギーファンはすでに用意してあったタオルなどを貸してくれ、この地はギルギレイア人の湯治場としても有名らしいという話もしてくれた。
温泉は野外にある露天風呂形式になっていた。この時間、ここを使うものは誰もいないらしい。
「ありがとうエリシア。もうひとりで大丈夫だから」
脱衣場でユーリがそう言うと、エリシアは不意に目線を外す。
「う、うん、でも……ユーリ、あちこち悪そうだし……痛むでしょう?」
「そりゃあ少しは。だいぶ良くはなったけどね」
「な、なら……い、一緒に入ってあげるから」
「一緒に……って、え、えぇえええええええ!?」
「お、大声出さないでよ! そ、その怪我はわたしたちを庇った時の怪我だし、か、体くらい洗ってあげるのがその、お、お礼! お礼よお礼!」
「…………」
大丈夫だから、と言っても聞かなそうなので、ユーリはこの場の流れに身を任せることにした。
「とりあえず……破滅獣をどうするかよ」
エリシアはバスタオルを体に巻きつつも、ユーリの背中を流している。
「運良く逃げられる、っていうのはこの際ないと思って考えないとな」
「縄張り意識のあるタイプかもしれないものね。上にいた時だって、あっちからわたしたちを見つけて襲って来たんだし」
「好戦的か……。さすがに経験ないからな、破滅獣なんて」
「そうね。でも防御に徹すればやりきれないかしら?」
「魔力の乗った咆哮が厄介だけどな。逃げ切れなくは……ないか」
「うん。ユーリ、右の手足、大丈夫?」
「ん、ああ。派手に擦り剥けてるけど、大丈夫だ。お湯は染みたりしないよ」
「なら良かった。流すわね」
「お、おう」
温かいお湯が背中からかけられる。
「先に湯船に入ってて、あとから行くから」
「来るのか?」
「い、いいじゃないっ。わたしだってお湯に浸かりたいもの」
「わ、わかったよ」
ユーリはエリシアに背を向けるようにお湯に浸かる。傷には少しは染みたものの、なんとなく治りが早くなるような気がしてくる。
左足にあった痺れるような感覚はもうなく、両脚はほぼ万全とも言って良い、ユーリはそう思った。
お湯の中で右手を伸ばしてみる。肘から手首の間にびりっという痛み残っているが、そう長引くものではないかもしれない。
「……よし」
何度か手を開いて、閉じてを繰り返していると、となりに人の気配がした。
「手、どう?」
「エ、エリシア?」
すぐ近くにエリシアが入ってくる。バスタオルをしているのかいないのか、立ち上がる煙で確認することはできなかった。かと言って、じろじろと見るわけにも行かず、ユーリはエリシアと反対の方を向いている。
「手はどう?」
「お、おおう、まだ少しの痛みはあるけど、今夜寝ればもう治りそうだな。良い処置をしてくれたのかもしれない」
「そう、なら良かった」
「エリシアの方は怪我はないのか?」
「うん。ちょっと肩を打っていたみたいだけど、問題ないかな。平気」
「なら良かった」
「うん」
「…………」
「…………」
風呂に並んで入るのは、長い付き合いの中でも初めてのことだった。
ユーリはなんとなく何かを言わなければいけなような気がして、でも言うべきことが見つからないでいる。こんな時にどんな話をしたら良いのか、まるでわからない。
エリシアの方は、ユーリからは妙に落ち着いているようにも見えている。
そんな彼女が、口を開く。
「助けてくれてありがとうね」
「咄嗟にやったんだ。エリシアとルーミアは守らないと、ってな」
「ルーミアか……。ねぇユーリ、彼女のことはどう思ってるの?」
「どう、って?」
「好き?」
「……突然だな。まだ会って間もないしな。けど良いやつだとは思ってるよ。最初は教会将校っていうからどんなやつかと思ったけど。わりと仲良くやっていけそうな気はしてるかな」
「ふふっ、わたしも」
「それは良かった――」
思わずエリシアの方を見て、ユーリは固まる。
すぐとなりのエリシアはタオルを身につけていない。
「エ、エリシアおまえ、は、裸なのか!?」
「服を着てお風呂に入る人なんていないでしょ」
「で、でも――」
「なんかここに来て……いろいろな覚悟が決まったのかも」
「覚悟?」
「うん。いつ死んでもいいように、って思っていたけど……それって何だか逃げているみたいな気がしててね。死ぬことを言い訳にしているみたいで。なんか、わたしらしくないっていうか、少しもやもやしててね」
そんなことを言いながら、エリシアの手はお湯の中でユーリの膝の上に置かれた。
不意のことで、ユーリは思わずびくりとなってしまう。
「ユーリは朴念仁だからわからないかもしれないけどね」
「ぼ、朴念仁ってなんだよ……」
心外だ、と言おうとしたがエリシアの言葉の方が早い。
「わたしはユーリが好きなの」
「それは――」
前にも聞いた。そして、返答は求められなかった言葉だ。
「ユーリは?」
だが、今回はその返答を求められる。
初めて聞いた時から覚悟はしていたが、今、このタイミングになるとはユーリは予想していなかった。完全な不意打ち。
「わたしのこと、好き?」
「それは――」
エリシアの顔が近い。体をこちらへと寄せてきているせいか、腕に何か柔らかなものがあたっていたのだが、今は無視することにする。
それよりも――。
「嫌いなら、こんなに長くずっといない」
「ずるい。ちゃんと言って」
「俺も好きだよ。エリシアのこと」
「ありがとう。そう言ってくれると思ってた」
「おい、エリシア――」
顔が近すぎる――と言う前に、ユーリの口はエリシアの唇によって塞がれた。
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