【〇一三】
「うーん、全然人気がないわね」
教会を出てしばらくの後、ユーリたちはチェロリダ村を一望できる小高い丘に辿り着いていた。
「帝国の支配下にあるのだとしても、これは様子がおかしいな」
「どうおかしいの?」
「村が寂れた様子がなくって、人だけがいない感じなんだ。普通、人がいない村はもっと草とかが荒れ放題になるんだ」
そう言ってユーリはルーミアを見た。ルーミアはなるほど、と納得する。
するとしばらく様子を見ていたエリシアがぽつりと言う。
「聞いたことない? 村から突然、人間だけが消えるっていう話」
「お、おい」
ユーリは止めようと口を挟んだが、ルーミアが好奇心の目をエリシアに向けた。
「なに、それ?」
「わたしたち末端の兵士の間で、たまに話に出たりするのよ。任務の途中で立ち寄った村に、ついさっきまで人がいた痕跡があるのに、まるで煙のように人だけがいなくなったようにいない、なんていう話。ルーミアは聞いたことない?」
「ないよ。それって、何なの?」
「この世に現れて、人間を喰らうと言われる、忌み嫌われて恐れられる存在……。もう百年近くも人類の前に姿を見せていないと言われながら、実は今も存在し続けて、人を喰らい続けているんじゃないかって言われてる……破滅獣よ」
「破滅……獣……」
言葉を噛みしめるように、ルーミアは繰り返した。
「かの邪神ゾディアが、その破壊力を利用するために冥府(ネクロ)から地上へ導いた、なんて言われている凶悪な存在ね。破滅獣一匹を鎮圧するのに、一国の軍隊がまるごとひとつ必要だ、とも言われてるくらいだし……とにかくやばい存在ね、破滅獣って」
「おいエリシア……冗談がすぎるぞ」
と言うユーリもまた、戦場で何度かこの手の噂に遭遇したことがあった。数百人を越える集落の人間だけが忽然と消えたとか、進軍中の大部隊が謎の全滅を遂げたなど、そこには不可解なものがあった。
「ユーリもそう思う?」
「まさか。さすがに一〇〇年も目撃されていないんだ。それにもし破滅獣がいたら、目撃くらいはされるだろうし」
「じゃあ、その噂はどうして?」
「帝国に、凄腕の兵士がいるらしくてな。そいつらの仕業じゃないかって、俺は思ってる」
「ああ、例のなんだっけ、『不死の双角』だっけ?」
「そう、そいつら」
「強いの?」
「俺も詳しくは知らないんだ。けどその『不死の双角』のいる部隊は決して全滅することはなく、こちらがどんなに優勢でも攻めきれないって聞いてる。たぶん、強いんだろうな。用兵的にも」
「破滅獣は名前くらいは知っていたけど、『不死の双角』なんて初めて聞いた。わたしの知らないことばかりね、この世界って」
ルーミアがそんなことを言う。
「まぁどっちも末端の兵士の間に流れる噂だから。実際はそう派手なことじゃないのかもな。見える村だって、村人がどこかに避難したばかりなのかもしれない」
「その可能性であることを祈りたいものね。わたしも破滅獣なんてごめんだもの。それに帝国の強いのとも、できれば当たりたくないし」
「同感だよ。まぁそんな話はともかく、任務はあの村の確保だからな。もう少し近づいて、帝国のやつらがいるかいないかは確認しよう」
「そうね。いなかったらそのまま帰還して確保の報告をしちゃいましょうか。ルーミア、それでいいかしら?」
「うん。ここまでの経路でも敵の拠点は見当たらなかった。経路も確保できていると思っていいから、敵勢力が村にいなかれば、確保とみなして問題ない」
「ありがとう。話のわかる教会将校様で助かるわ」
「本当だな。村に砦でも作れって命令じゃなくて助かったよ」
「ツキが向いてきたのかも」
言いながら、エリシアは地図の現在位置に印を付けている。
「もうここからチェロリダ村はすぐね。ツキが向いてきたかも知れないけど、油断しないで行くわよ。ここからは物音にも気を付けて」
「わかった」
「了解した。じゃあ俺が先行する。エリシア、背後を任せていいか?」
「もちろん」
「って、ルーミア?」
「ユーリ、エリシアのことを信頼してる?」
「もちろん。戦場じゃ今の所、エリシア以上に頼れるのはいないって思ってるよ」
「なっ」
ユーリの言葉を受け、エリシアは赤面した。
「相思相愛っていうことね」
「それとは違うけど……エリシア? なに赤くなってるんだ?」
「い、いきなりそんなこと言うからでしょ、バカっ。ほら、先に進むわよもう」
「お、おう。慎重に行こう、な」
気が立っているように思われたエリシアも、移動を開始するとすぐに冷静を取り戻していた。
ここまでの進軍以上に周囲に気を巡らせながら、ユーリを先頭にして慎重に進む。
その途中、ルーミアが誰にというでもなく、ぽつりと言った。
「もし、破滅獣だったらどうするの?」
その問いに、彼女の前後にいるユーリとエリシアは同時に答えた。
「「逃げる」」
と。ルーミアもその答えに納得したように頷いた。
ルーミアが知る破滅獣の知識は、エリシアが言っていたものに近かった。
邪神ゾディアが冥府(ネクロ)から呼び出した邪悪な存在。召喚魔法をもってしてもその対峙は難しいとされているということ。そして、現在でその姿を見た者はいないが、完全に消え去ったわけではないという、曖昧なもの。だからルーミアは、その存在を自然災害のように思って納得していた。
むしろルーミアが気になっていたのは、ユーリたちが言っていた『不死の双角』という存在だった。先の実戦は一瞬で終わり、抵抗らしい抵抗は受けなかったが、ふたつ名が付くほどの相手となれば抵抗は必至であり、死の確率も桁違いに跳ね上がるだろうと。
生き延びられるだろうか。
ふと、胸の奥にもやっとしたものが込み上げた。が、ルーミアはそれを恐怖とは思わず、奇妙な違和感と覚えた。
慎重に歩きながら、自分の胸に手を置き、思った。
わたしは生きようとしている。今、死を拒絶しようとしている、と。それはルーミアにとって初めての感覚であり、ある種の困惑に似た感覚であった。
そんな感覚の中、ジッとユーリの背を見ていたら、ぴたりとユーリが動きを止めた。
「ユーリ?」
「着いたぞ。チェロリダ村だ」
三人の前には、閑散とした雰囲気の村落が現れた。
だがすぐには村の門から入らず、ユーリたちは近くの茂みに身を隠している。
「何か見える?」
「いや、ここからじゃ特に。帝国兵がうろついている気配はないようだけど……本当に人の気配がないな」
「……放棄されたのかしら?」
「その可能性はあるな。ここ、一応は帝国の支配下だからな」
「でも、支配下の村からの脱走なんて、帝国は素直に認める?」
そんなことをルーミアが指摘した。
「それもそうね。エムール大森林周辺じゃ村なんてここしかないし。拠点として確保はしたいだろうから」
「だとしたら本当に妙だな……。途中の教会と言い、今回は不思議なことが多い気がする」
「そうね。けど立ち止まっていても解決はしないわ。村の中の様子を探りましょう」
「わかった。ふたりはここで待機していてくれ。まずは俺が中を見てくる」
「うん。気を付けてよ、ユーリ」
「慎重にやるよ」
「がんばってね」
ふたりに見送られるように、ユーリは単身村の方へと向かった。
門は木製の簡素なもので、農村という雰囲気があった。が、村の周辺にも中にも比較的小さい畑しかなく、ユーリが知る農村の持っている畑の規模よりはかなり小さかった。
それにユーリは村に入り、すぐに気が付いたことがあった。
「なんだ、これ……」
家と家の間、道が所々めくれあがっている。何かを撃ち込まれたというようなめくれ方ではなく、中から何かが出て来たようなめくれ方をしていた。
大きさにして、人ひとり分が辛うじて入れるというような大きさ。数は無数にあり、規則性なく広がっている。
「…………」
ユーリは無言で、剣の柄に手を乗せた。
神経を研ぎ澄ませ、周囲の気配を探る。――が、特に何かが動く気配も、潜んでいる様子もない。
「どうなってるんだ……?」
試しに近くの家の戸を開けてみるが、中はもぬけのから。水瓶のふたを開けてみると、そこにはまだ新鮮な水がたっぷりと蓄えられている。
食料の備蓄も残っており、生鮮な食品はないものの、乾燥パンや芋類など保存の利くものはそのまま残されていた。
「……そう古くはなってないな」
表に出たユーリは気になる地面の痕跡の前にしゃがみ、土に触れてみた。すると。
「柔らかい……」
良く耕された畑の土のように柔らかだった。やはり、無造作に何かを撃ち込んだり、魔法などで生じた痕跡ではないということだ。
「戦闘があった、というわけでもなさそうだな」
村の端へと目を向けると、柵の向こう側はギバ渓谷の断崖となっているらしかった。
しんと静まった村。残る生活感。地面の痕跡――薄気味悪さを感じつつ、ユーリは一度エリシアたちのところへと報告に戻ることにしたのだった。
帝国軍のガブリアスは自らの部隊を率い、ジェニオス監視塔を経由しチェロリダ村へと向かっていた。
配下の兵はゲパ族とボルク族の混成部隊である。
「隊長、進路上に敵は発見できませんでしたぜ」
偵察に出ていたゲパ族の者三匹が戻り、報告をする。
「よろしい。では進むとしよう」
全体の進軍を指示する傍ら、ゲパ族の三匹はガブリアスに聞こえないような声で話をする。
「うちの隊長は相変わらずの臆病だな」
「こんな土地に敵の精鋭なんかいないってのにな」
「よほど戦いが恐いのだろうよ」
げっげっげと、ゲパ族たちは下品な笑いをあげた。すると。
「おまえたち」
気迫に満ちたパルアの声がし、ゲパ族たちは姿勢を正した。
「今のは聞かなかったことにしておいてやる。だが、次はない」
「は、はいっ。もうしわけありませんでした」
殺意のこもった視線でゲパ族たちを一瞥したあと、パルアは先行していたガブリアスを追いかけるように歩いて行った。
「ふぅ、危なかった……」
「『兜潰しのパルア』だものな。あの女の方が隊長よりよほど勇敢なんじゃねぇのか」
「かもしれねえ。なにせ素手で兜ごと人間の頭を握りつぶしたって言うじゃねぇかよ」
ゲパ族が体こそ人間より小さいものの、その膂力は侮れないとされている。そんなゲパ族からも、パルアの力は畏怖されるものと言われていた。
「案外、あの隊長の手柄はパルア副隊長の立てたものかもしれねぇな」
「ありえるな」
「おい、遅れが出るぞ。うちの隊長は隊列やら規律やらにやたら厳しいからな」
「まったく、面倒な隊長を持つと苦労するぜ」
――と相手を警戒し慎重な行軍をするガブリアスは、部下の評価はいまいちなものとなっていた。
だがガブリアスはそんなことを気にするでもなく、被害と戦力減を最小限に抑えようと身長な進軍を行っている。
そんなガブリアスが、傍らのパルアに問う。
「状況をどう思う?」
「まだ何も起こっていない、と」
「うむ。まだ、な。しかしこうも静かというのも妙だ。それに痕跡が何一つとしない。本当に何もないか、相当の手練れがいる」
「……『戦渦の二凶星』ですか」
「俺はそう思っている。総督の言う『なにか』に連中が先に感づいているという可能性も合わせてな。パルア、これは競争だが、焦ったら足下を掬われる。慎重に、兵力を温存しつつ進めるのが得策と俺は思っている」
話をするガブリアスはいつも堂々としている。そんなガブリアスに、パルアはついぞ見とれてしまっていた。
「わたしはガブリアス様の判断に従いますゆえ」
「期待しているぞパルア」
「必ずや、そのご期待には応えてみせます」
ガブリアスのためならば『戦渦の二凶星』のひとつやふたつ、軽く叩き潰してやる……と、パルアはそう思った。
そんなパルアの前で、ガブリアスは足をとめて眼下を見る。
「ふむ」
その目の前にはチェロリダ村を見ることができた。
「我が国の支配下と聞いていたが……駐留している部隊も村人の姿も見えないな」
「……それはおかしいですね。監視塔での報告では、ひとつ部隊が駐留しているとのことでしたが」
「……ここから見るにあの村の様子は普通じゃない。ゲパ族三名とボルク族二名からの斥候を出させてくれ」
「了解しました」
「それと――何かあったらすぐに打って出る。そのつもりでいてくれ」
「はっ」
パルアが斥候を出しに下がった後も、ガブリアスはジッとチェロリダ村を見下ろしていた。ここからでは全貌は見えないものの、直感的に何かの気配を感じられた。
「……何かいるな」
正体まではわからないものの、ガブリアスはチェロリダ村に何か大きな力、存在感のようなものを感じ取っていた。
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