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グレイトオブエネスギアー旧章ー第十八話
小説旧版グレイトオブエネスギア「第十八話」

  【〇一八】

 パチャリという、柔らかな水音を立てながら、唇を離したエリシアはユーリの正面にくる。膝立ちの姿勢で、両手はユーリの肩に置かれていた。

「エ、エリシア――」

 何かをたしなめようと思ったユーリだったが、彼女の覚悟めいたものに気圧され、言葉を継げないでいる。

「死ぬ前に、っていう逃げじゃなくて。これからも生きたいって思うようにしたの。落ちながらあなたに掴まって、そう思った。一緒に死ぬとかじゃなくて、一緒に生きたい。生きて夢を叶えたいって。でもね、夢も大事だけど、同じくらいに大事なことがわたしにはあるの」

 ユーリの目の前には一糸まとわぬエリシアがいる。目を奪われる体が眼前にあるにも関わらず、ユーリはエリシアの瞳から目をそらせなかった。

「ユーリと特別な関係でいたい。ずっと生死を共にするんだもの。お互いにもっと、深く繋がる関係でありたいの。心も、体も、何も隔てるものがないくらいに」

 エリシアの目も、真っ直ぐにユーリの目を見ている。

「わたしはそれを望んでいるわユーリ。戦っている時は自分の命は自分で守るけど、あなたの命だって自分の命のように守りたいって思ってる」
「それは俺も同じだエリシア」
「うん。それはすごく感じる。だけどね、戦っている時以外にも、もっと特別な時間が欲しいの。あの時のように、あなたの命を近くに感じている、あの時のような時がもっと欲しいの」
「それは――」

 何を言われているのか、一瞬ユーリは迷った。そして、その隙を突くようにエリシアの手のがユーリの頬に触れる。

「わたしの知らないところで、ユーリはそういう経験、あるの?」

 ユーリはほぼ反射的に首を振っていた。

「本当?」
「嘘なんかついてもしょうがないだろう。知ってるだろうけど、軍学校に入る前も、入ってから今に至るまでも、俺はおまえといた時間がほとんどだよ」

 思えば本当に長い時間を共に過ごしている。
 そして、深い時間を過ごしている。
 何度、このまま死ぬと思ったことか。何度、それを切り抜けてきたことか。そして何度、笑い合ったことだろうか。夢を誓い合っただろうか。
 ふたりで過ごして来た時間は長く、深い。
 それなら。

「それなら、ユーリ」
「エリシア……」

 エリシアは再度、ユーリにキスをする。唇を啄むようにしたので、ちゅっという音が起こった。それを聞き、ユーリはふたりの距離感の近さを思い知った。
 今までとは違う。そしてこの距離は今日さらに、縮まるのではないかと。

「それなら、エリシア」
「え?」

 ユーリの手は、肩に置かれていたエリシアの手を軽く掴んだ。小さく頼りない手だが、この手に自分は何度も命を救われている。そんな事を思いながら、ユーリは言う。

「特別な時間は、もっとあってもいい……よな」

 ほんの気持ち、ユーリはその掴んだ手を引き寄せるように力を入れた。
 引く力に対して、エリシアは何の抵抗も示さない。

「うん」

 その力と気持ちを受け入れ、ユーリへと体を預けるように抱きつく。
 そして唇が触れ合うような距離で、エリシアは言う。

「でもすごく、ドキドキしてる」

 エリシアはユーリの手を取り、自らの胸へとその手を導く。

「ドキドキしてるの、わかる?」
「い、いや……」

 ユーリにわかるのは、柔らかく、それでいて弾力と質量が感じるエリシアの胸の感触のみで、鼓動まではそこを通し、伝わらない。

「だけど、ドキドキしてるのはわかる。手、震えてるし」
「なら……止めて」
「どうすれば?」
「ユーリの……好きにしてくれれば止まると思う」
「それなら――」

 ユーリはエリシアの腰に手を回し、体を近づけるように抱き寄せる。

「あっ」

 体が。素肌が大きな面で密着する。お湯よりも、互いの体温を近くに強く感じられた――その時。

「……うん?」
「……え?」

 ふたりは同時に、地面の微かな揺れを感じた。

「ま、まさか」
「そんな!?」

 前例もあるため、ふたりはやはりまた同時に立ち上がった。

「ここには来ないって……!」
「くっ、さすがは破滅獣ってことか……!」

 どこでどんな状況であっても、脅威が来るならば、そう思った瞬間。

 ドォォォォォォォン!

 爆発のような音が起こり、温泉の一部から湯が吹き上がった。

「なっ」
「こ、これって――」

 熱い湯が、雨のように二人に降り注ぐ。

「か、間欠泉ってやつか……」

 どこかで聞いた、知識だけはあった自然の現象。
 まさかこんな時にこんな所で見ることになるとは思わなかった。

「……熱いな」
「……ふふ、そうね。もう、せっかくのところだったのに」

 エリシアはくるりと向きを変え、置いてあったバスタオルを体に巻く。

「またお預けになっちゃった」
「またって……」
「生きようねユーリ」
「お、おう」
「なかなかゆっくり、いい感じになれないけど……わたしはあなたをずっと思ってるから」
「わかってる。俺が思ってることも、忘れるなよ?」
「うん。――大好き」

 そう言うと、エリシアは照れ隠しのように、小走りに脱衣場の方へと走っていった。
 すぐに追いかけるのもおかしいかと思い、ユーリは吹き出し続ける間欠泉を眺めていた。

「それにしても……熱いな」


 温泉の効果があったのか、帰り道は来た時よりも体が軽くなったように感じた。

「腕、大丈夫そう?」
「ああ。温泉の効果だな、きっと」
「案外、不思議な温泉なのかも」
「そうかもな。近くにあるといいな、こういうの」
「ふふ、そうね。でも、怪我しないのが一番だけど」
「こういうことをやってるとそれは難しいだろうな」
「大なり小なり、しちゃうものね。わたしもだけど。ああ、体に残る傷ができたら嫌だなっていつも思うけど」

 ふと、ユーリはエリシアの裸を思い出してしまった。そのことを、エリシアは目敏く察する。

「……何を思い出してるの?」
「な、なんでもいいだろ」
「わたしの裸でしょ?」
「お、おい」
「ふふ、どうだった?」
「どうだったって……う、うん。思っていた以上に綺麗だったよ。今回は……しっかり見せてもらったから」
「良かった。変だって言われたらどうしようかと思った」
「そんなこと思わないよ。――良い思い出ができたかな」
「わたしも。忘れないでよ?」
「大事にする」

 ふたりはどちらからともなく手を繋ぎ、ギーファンの家までの道を歩いた。
 空気は冷たく、お湯で火照った体に気持ち良かった。
 すぐ近くに、あのような脅威があるような里とは思えないのどかな空気が満ちている。

「……任務とか破滅獣とかなしで、ここにこうして来たかったな」
「同感だ。こういう時間、基地ではなかなかできないものな」
「うん」

 ぎゅっと体を寄せるエリシアの柔らかさを感じる。
 直接ではなくても、その体温も感じられる。

「なんとしてでも――」
「うん?」
「なんとしてでも生きて戻ろう。破滅獣相手だからって、何もかも諦めてたまるかってんだ」
「うん。わたしもそう思ってる。頑張ろうね、ユーリ」
「ああ」

 エリシアがさらに身を寄せてくるが、ギーファンの家がすぐに見えて来てしまった。寄り添って戻るのも変だと思い、今度はどちらからともなく体を離した。

「ただいま戻りました」
「良い温泉でした」

 すると家の中では。

「おふぁふぇりなふぁい」

 ギーファンとその妻と、たくさんの料理。そしてその料理を頬張っているルーミアがふたりを出迎えた。

「ル、ルーミア?」
「おかえりなさいふたりとも。ご飯、先にいただいてるよ」
「ふぉふぉふぉ、間欠泉が出ておったようじゃのう。ゆっくりできたかね?」
「おかげさまで」

 ユーリが笑顔で答えると、ギーファンは満足そうに頷いた。

「かつては勇者と呼ばれる御仁も、その傷を癒やすのに使ったと言われておる場所でな。おっと、話はあとにしよう。さぁ、ユーリ殿、エリシア殿も召し上がるが良い」

 お言葉に甘えて、とエリシアとユーリは食卓につく。
 そんなエリシアの顔を、ルーミアがジッと見つめる。

「な、なにルーミア?」
「エリシアその顔は……結構きわどいことをした顔だね」
「なっ、なによ突然」
「後でしっかり聞かせてもらうね。これは教会将校として」

 エリシアにはそういうルーミアが、どこか楽しげに見えた。

「ユーリに聞いてもいいけど?」
「わ、わたしが話から」
「うん、よろしく」
「ふぉふぉ、仲の良い部隊なことじゃ」
「そういえば村長さん」

 ルーミアがギーファンに、いつもの無表情を向ける。

「さっき言った……勇者って……?」
「その話はエネスギア人の血を流す、しかも教会の騎士たるお主の方が詳しいとお見受けするよ。儂らの言い伝える勇者とはすなわち、エネスギア人が言い伝える勇者と同一じゃ」
「なるほど」

 ルーミアは納得したように頷いた。そんなルーミアを前に、ギーファンは昔を思い出すように語る。

「九天女神から直接の加護を受ける、勇気ある者。古代ギルギレイア人はその勇者のために剣を打つ者もいたと言う」
「勇者か……どのくらい強かったんだろう」

 ユーリがぽつりと言うと、それに答えたのはルーミアだった。

「女神と共に邪神と戦ったり、破滅獣と戦ったと言われているよ。だから、たぶん破滅獣よりも強いと思う」
「……っていう伝説よね。実際のところ破滅獣を一匹倒すには一国の軍隊がひとつ必要と言われているわ」
「さようだ。この里にも自衛の戦力はあるものの、一国という規模には比べるべくもない」
「わたしたちの任務はチェロリダ村の奪還でした。破滅獣をどうにかしない限りそれも叶いそうもないので、一度基地へ戻り、援軍を要請しようと思います」
「それが賢かろう。儂らは上の騒乱には関わりたくはないが……あやつの闊歩を見過ごしているわけにもいかんからのう。かつてギルギレイア人はエネスギア人と組したこともある……共闘も前向きに考えよう」
「ありがとうございます」

 エリシアがしている話は、外交的な話だった。

「女神と勇者への信仰はエネスギア人のものだが、実際に破滅獣を目の当たりにするとその力にあやかりたくなるものだ」

 教会将校の立場からか、ルーミアはうんと頷いた。

「ゾーン・グール・グレイブか……。いつ頃に現れたんですか?」
「まだ一週間も経っておらんよ。元々この地、ギバ渓谷そのものは破滅獣と勇者との戦いで出来たもの、という言い伝えがあってな。その勇者はギルギレイア人の打った輝石剣で破滅獣を倒したとされ、我々にとっても誇らしい伝説があったのじゃ」
「破滅獣ゆかりの地ってことか……。それにしても突然に現れるなんてな」
「百年ぶりのことだものね。基地に話を持ち帰ったら騒ぎになりそう。百年前より、今の軍も魔法も発展しているはずだから、昔のままの破滅獣なら少しは楽に勝てるかしら」
「儂らもそう願っているよ。さぁ、食事を進めよう」

 その後、ギーファンはユーリたちを信頼できるという話をした。
 帝国と戦う者であることもそうだが、ギーファンはエネスギア人社会における人間の扱いを知っていた。その上で、軍で働き続けるユーリたちの夢を聞き、信頼に足ると判断したとのことだった。


「エリシアは運が良いのね」
「え、どうしたの急に」

 ルーミアがそうエリシアに言ったのは、ふたりがふたりの部屋に戻ってきてすぐのことだった。
 ルーミアはベッドに腰を下ろしている。

「教会の時もそうだったし、今回の村長さんのも。任務先なのに、すごくもてなされてる」
「あはは、たまたまよ、たまたま。いつもはもっと酷いものよ。食事もお腹いっぱいってわけにいかないし。お風呂どころか水浴びだってできないことも多いし」
「そうなんだ」
「むしろ運が良いのはルーミアの方かも。わたしはそれにあやかっているだけかもしれないわね」
「そんなことは……ないかな。わたし、運が良いじゃないから」
「それは奇遇。わたしもよ」

 エリシアは苦笑しながら、ルーミアと向かい合うようにして自分のベッドに座る。

「さっき、温泉に行ってたの?」
「え、ええ、うん」
「ユーリと、どうだった?」

 ルーミアは前のめりで聞いてくる。

「ど、どうって、どうも……なかったけど……」

 そう言うエリシアの隣に、ルーミアが席を移す。そしてずいと顔を近づけて、言う。

「嘘はわかるよ」
「……ルーミアには隠し事はできないな」

 エリシアはどこか観念したように、苦笑いを浮かべた。

「上手くできたの?」
「うーん……ううん。惜しいところまでは行ったんだけど、まだその時じゃないのかなって感じ。温泉の間欠泉に邪魔されちゃった」
「怯まずに行けば良かったのに」
「なんとなく、そこまではいいかなって気持ちになっちゃった。ユーリもそんな感じだったし、たぶん、まだその時じゃないのかなって」
「……やっぱり、ただ押すだけじゃ駄目?」
「そうなのかもね。他の人のことはわからないけど、ユーリも変に真面目なところみたいのもあるから」
「そのおっぱいでも駄目なのね……」
「な、何よ。そういうのって、あまり関係ないと思うけど……」

 友人でもあるシャーラも良くそんなことを言っていたことを思い出すも、そう簡単に行った試しがないエリシアは、あまり関係ないと思えていた。

「上手く行ったのなら、感想を聞きたかった」
「興味津々ね。ユーリよりも、そっちに興味があったり?」
「かもしれない。あ、でも、前も言ったけど誰でも良いんじゃないからね」
「それはわかってるわ」

 ユーリを肉体的に欲するルーミアは本来恋敵になるのではとエリシアは考えていたが、不思議とそういう気持ちは沸いていない。それはルーミアがユーリに向ける感情が、自分の持つそれとは違うものだからではないだろうか、と。

「そっか、何もなかったのね……」
「な、なんでそこまでがっかりなの?」
「感想が聞きたかったっていうのもあるけどそれ以上に……」
「それ以上に?」
「幸せ満開になったエリシアが見て見たかったかな」
「なっ」
「気持ち良くなれば幸せでしょう?」
「そ、そうかもしれないけど」

 エリシアはなぜか急に恥ずかしさが込み上げて来た。感情に呼応して、顔が真っ赤になって行くのが自分でもわかる。

「幸せ、なのかな」

 ユーリに思いが伝わる。そして受け入れられる。それならばもう――。

『俺も好きだよ。エリシアのこと』

 叶っているのかもしれない。
 ユーリに言葉を思い出し、そう思った瞬間、恥ずかしさがさらに込み上げてくる。

「エリシア? これ以上無理ってくらいに顔が赤いよ?」
「あー……もうっ!」

 恥ずかしさから逃げるように、エリシアは枕に顔を沈める。

「どうしてこういうのって後で思い出すと恥ずかしくなるのよ……」
「思っていた以上に幸せ満開?」
「……かもしれない」
「ふむ。それは良かった。そして少し羨ましい」
「わたしがひとりで舞い上がってるだけかもしれないけど」
「それでも。わたしはそういう気持ちになったことないから」
「そ、そっか」
「あ」

 ふと何かに気が付いたような声をあげるルーミア。エリシアは驚いてそんな彼女を見る。

「どうしたの?」
「ううん。そう、大したことないから」
「え、ちょっと、なによそれ。気になるでしょ」
「本当に大したことないから」
「教えてよ」
「……きっとこういうのって、エリシアやユーリにしたら当たり前のことなんだと思う」

 ルーミアは珍しく、エリシアから目線を外す。

「わたし、ユーリやエリシアに会ってから初めてのことをいろいろ経験してる。だから、もっといろいろなことを経験したいって思ってる。死んでいいなんて思っていたけど、今はまだちょっと、死にたくないって思ってるのかもしれない。そう、思った」
「ルーミア……」

 エリシアにとって、ルーミアのその言葉はどこか嬉しさを感じるものがあった。

「それって、大事なことよ」
「そう、なの?」
「もちろん。死にたくないから、頑張るんだもの。わたしだって夢があるし、まだしたいことだってあるし。覚悟はしてるけど、諦めたくはないもの」
「諦める……そう、そうね。わたしも、諦めないことにする」

 そう言ったルーミアが一瞬笑ったように、エリシアには見えた。

「ルーミア?」
「なに?」
「い、今笑った?」
「そう? 良くわからない。じゃあ、わたしは温泉に入って来るよ」
「あ、わたしももう一回入ろうかな」
「ユーリも誘う?」
「ううん、ルーミアとふたりで」
「そう。じゃあ、それで」
 そう答えるルーミアは、いつもの無表情だった。