【第三話 価値のある時間】
【〇一〇】
ユーリたちが野営をしていた、その夜。
エムール大森林に近い帝国南西基地の一室には監視塔から落雷を観測したという知らせがもたらされていた。
「うーむ、落雷か……」
報告を受けていたのはこの基地を拠点にする南西方面軍に属するひとりの小隊長、ガブリアスであった。
「珍しくもないが、哨戒部隊を直撃か」
ゾディア人の青年であるガブリアスは、報告書を注意深く読むと、ぱさりと机の上に放った。
それを見ていた副官の女性が言う。
「そして本隊は行方不明とのことです」
「なるほど……。パルア、キミはどう思う?」
不意に話を振られたパルアという副官は思わず眼を丸くしてしまう。
「わたし……ですか?」
「ああ。キミはどう思った?」
「不運な部隊だと」
「はは、不運か。たしかにな」
ガブリアスはその通りだと笑ったので、パルアは首を傾げてしまった。
「キミの意見を否定するつもりはない。たしかに不運であることに違いはないのだからな。しかし本当に落雷かどうか、私としては疑わしく思う」
「まさかエネスギア人共が?」
「可能性はある。――我々の使命はなんだ、パルア」
「『この地に隠されし物を探せ』と伺っております」
「うむ。……こう言っちゃなんだか、これは南方面軍総督からの勅命。しかしそれにしては曖昧だと私はずっと思っていたのだが……おっと、これはここだけの話で頼むぞ」
はいと、パルアは軽く微笑んで頷いた。
「上層部批判をするつもりはないのだが、どうにも曖昧なことが気になっていてな。それに、先の作戦では三〇〇の追撃部隊が全滅したそうではないか。相手はたった二人だと聞いている」
「かの『戦渦の二凶星』の二人に当たったものと思われます」
「だろう? ならばこの南西方面軍は今、その『戦渦の二凶星』と直面していることになる。共和国きっての精鋭なのだろうな。名のある部隊ではなく、名も知れぬ部隊に精鋭中の精鋭を潜り込ませるとは……敵ながらに見事な策を使う。おかげで男女の組であるということ以外なんの情報も得られない」
「男は二剣を使い、女の方は長銃と剣、魔法を少々使うと」
「こちらには対する被害に比べ、得られる情報がそれだけとはな。――しかし、だ。そんな精強な部隊がいる方面においてこの落雷と、本隊の消失。何か関係があると思わないかパルア?」
「……関係があるとお考えなのですか、ガブリアス様は?」
ガブリアスはそこでにやりと笑んだ。
「さすがです。わたしにはそこまでの考え及びません。やはりガブリアス様こそがこのゾディア帝国の――」
「待て待てパルア。その先は言いすぎるぞ」
「いえ。この田舎者のわたしには過ぎた上官です」
「なに、思想故に左遷させられた者だ」
ガブリアスはゾディア帝国の帝都軍学校を首席で卒業したものの、身分や種族を問わずに兵に褒美をとらせたり、人事をすることから異端視されてしまっていた。本来ならば帝都の中央軍に配属になる所を、こうして辺境へと配属されている。
一方のパルアも、元は名のある貴族に出自を持つ。しかし祖父が敵前逃亡の汚名を着せられたことにより没落し、今では貴族ですらなくなってしまっている身分。
「出世の見込みのない上官で不満かパルア」
「いえ。このわたしを取り立てていただき光栄に思います。そして何より……ガブリアス様は明日の帝国の頂点へと進まれるお方と、わたしは信じておりますゆえ」
パルアは帝都の模擬戦で圧倒的な強さを見せていた。それはいつの日か賭けの対象にされてしまい、ほとんど見世物のように扱われてしまっていた。ガブリアスは地方へと左遷させられる際に、唯一の願いとして彼女を自分の配下として連れてきたのだった。
「ふふ、いずれはそうなって見せるさ。それにはパルア、おまえがどうしても欲しかったのだ」
「わ、わたしが欲しいと!?」
パルアの顔が一瞬で真っ赤になる。
そして。
――ガブリアス様がわたしを欲しているということは……つまりそのままの意味! あぁ、ついに心だけでなく体もガブリアス様に捧げる日が来るとは……! このまま二人、覇道を夢見つつ肉欲に溺れる日々……それも悪くない、むしろ……望むところ!
パルアがカッと体の火照りを感じる中、ガブリアスは続ける。
「うむ。キミの戦闘能力は控えめに見たとしても帝国随一と呼べるだろうからな。我が覇道には強き者が必要になる。期待しているぞ、パルア」
「は……はい?」
「うん? だから期待しているのだ、キミのその戦闘能力に」
「せ、戦闘能力……だけ、ですか?」
「そうだ。用兵や謀略には少々疎いようだからな。なに、そこは私の領分。戦闘となれば私よりもキミの方が力は発揮できると思っているが……見込み違いか?」
「い、いえ! とんでもありません!」
もっと体を求めてもらいたいという本音を押し殺しつつ、パルアは両手を振って否定。
「ご期待に応えられるよう、このパルア、精一杯頑張ります」
「頼む。ではさっそくだが」
ガブリアスは一枚の書状を机の上に広げた。
「これは?」
「気になったものでな。例の落雷と『戦渦の二凶星』の関係が。もしかしたら『戦渦の二凶星』が総督の探し求める『何か』を探している可能性もあると思い、基地指令に進言してみたのだ。そうした所、周囲を調査せよとの命令が下りた」
「さすがはガブリアス様。これで『戦渦の二凶星』も倒し、総督が探す『何か』も手に入れることができたら……」
「うむ、出世は間違いなし。我が覇道も大きく前進すると言うものだ!」
ガブリアスは立ち上がり、意気揚々と拳を握る。
そしてパルアも密かに疑いなく思う。
もしガブリアス様が出世すれば、自分との肉欲の日々も広がる、と。
「ガブリアス様、出立は今夜にでも?」
「いや、準備は念入りにしよう。相手となるのはあの『戦渦の二凶星』になるのかもしれんのだ。準備なしに勝てる相手ではない。まずは部隊を集め作戦の詳細を伝える」
「はっ」
「それと、急ぎ酒保商人も呼んでくれ」
「酒保商人、ですか? 何か入り用が?」
「ああ。これは大戦になる予感がする。今夜は部下どもに良い酒と肉でも振る舞ってやるとしよう」
――本来、ゾディア帝国軍における兵たちは傭兵が多く、ガブリアスのような辺境ならば配下は複数種族が混在する、いわゆる『寄せ集め部隊』となっている。
そこには労いの言葉もなく、命をかけるわりには報酬金も安いものであるのだが、ガブリアスの采配は異質だった。
部下を労い、報酬も常に出せる最高金額を出している。
これが彼が左遷された理由でもあり、左遷されてもやめない、彼の信念であった。
「ガブリアス様は相変わらずですね」
パルアはどこか呆れたように、しかし穏やかにそう言う。
するとガブリアスは得意げに返した。
「私が目指すのは平等な世界だ。誰にも等しく機会があり、等しく評価をされる。まずは世界を作る前に、自分の部隊からでもそうしなければな」
パルアはそんなガブリアスの抱く大志に、心からの信奉を持っている。
強い忠誠心であり、落ちぶれていた自分を見出してくれた感謝であり、ひとりの男性へと向ける恋慕でもあった。
そんな情念の籠もったまなざしを向けられるガブリアスは彼女の思いなどに気付かず、眼下に広げた命令書と、その下に広げた地図に向けられていた。
「ふふ、この一戦、我が運命が大きく動く予感がするぞ……これが胸躍るというものだ」
自らも用兵に長け、戦闘能力も高く容姿も良いガブリアス。
ただひとつの難点を上げるとすればそれは、異性からの気持ちに恐ろしく鈍い、という部分であった。
――明け方のエムール大森林には、野営を早々に畳み、進軍を開始したヴァイツ隊の面々がいた。
「雨の進軍なんて、ついてないわね」
天候は生憎の雨。背の高い森林の中とは言え、冷たい雨が降り注ぐ中の進軍となってしまっていた。
「まぁ珍しくはないだろ」
「そうだけど、あまり好きじゃないのよね」
「そうなの? じゃあユーリのことは好き?」
「なっ、いきなり何を言うのよルーミアは!?」
「ふ、ふたりとも声が大きいぞ」
ユーリの注意を受け、ルーミアは声量を下げつつも話を止めない。
「ねぇ、好きなの?」
「い、今は関係ないでしょ」
ぼそぼそとやりとりをする二人を、ユーリは最後尾から眺めていた。
その時ふと、ユーリは足を止めて後ろを振り返った。
「…………」
特に理由はなかったのだが、なんとなく気になった。それは地図上では帝国の前線基地がある方向。
殺気や気配を感じたわけでもない。本当に、それは何気ない行為だった。すると、ユーリのその行動に前を行くエリシアが気付いた。
「ユーリ、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
ユーリは前を向き歩き出し、そして再び後を振り返る。
「……何も、ないよな」
そうであって欲しいという願望も込めて呟き、ユーリ前進を再開した。
その日は何事もなく歩みを進めることができた。
地図上ではさして大きくない森林なのだが、ユーリたちは歩き始めてすぐになぜ『大森林』と呼ばれているのかということを痛感した。
森の中は木々雑草が濃いのだ。おかげで通常の速度の半分ほどのペースになってしまい、ユーリたちはすっかりとびしょ濡れになってしまっていた。
何度目かの休憩中、ルーミアは荷物の中から甘いチョコレートを出し、ふたりにもわけていた。
「嬉しいわね。ありがとうルーミア」
「ううん。好きで持って来ただけだから。エリシアもチョコは好き?」
「大好き」
「本当? じゃあユーリのことは?」
「うっ、なんですぐにそっちに持ってくるのよ」
と、なぜかユーリはふたりに視線を向けられてしまった。
なので、ユーリは話題を逸らす。
「ま、まぁそれはともかく、進行は少し遅れるかもな」
「そうね。こんなに苦戦するとは予想外よ」
「食料とか大丈夫?」
「うん。まだ平気。それに森の中なら何かしら食べるものは手に入りやすいし」
途中、何度か野生の動物にも遭遇してきたので、狩ろうと思えば狩りもできる。採集こそしなかったものの、野生の木イチゴや食べられるキノコなども見て来てはいた。
「進みの遅れもそうだけど、こう濡れるのも予想外だったな。エリシア、ルーミア、寒くないか?」
「わたしは平気。このくらいならまだ」
というエリシアに対して。
「わたしは寒いかも温めて欲しいかもしれない」
と、ルーミアはユーリにくっつく。
「ちょ、大丈夫かルーミア?」
「ほ、ほらルーミア。ユーリだって濡れてるんだからくっついても温かくないって。これでも被っていて」
エリシアは慌てるように、雨よけの携帯マントを取り出してルーミアに手渡す。
「え、これはちょっと……わたしの美意識が着るのを許さない」
「寒いんでしょう?」
「大丈夫。まだ平気だから」
「…………」
エリシアは悟る。ルーミアはもしかして、ただユーリにくっつきたかっただけなのではないだろうか、と。
するとそんな視線に気が付いたのか、ルーミアはエリシアを見る。
「エリシアも、もっと積極的に行かなくっちゃ」
「なっ――」
「昨日の夜はすごく積極的だったみたいだけど、未遂だったものね」
「み、未遂って、それはあなたに見られたからで――」
「だから気にしないで続けてくれても良かったのに」
「そういうわけにも行かないでしょっ」
「ふたりきりだったら、どんなことしたの?」
「だ、だからその話はいいからっ」
雨の日の行軍は無口になり、士気も下がりがちになってしまうことが常。もしルーミアが士気高揚のためにエリシアに話を振っているのだとしたら、それは教会将校として極めて優秀な行動だろうと、ユーリは思っていた。
が、ルーミア本人には立場として言っているという意識はまるでなかった。
全員が口の中でチョコレートを溶かし終えるころ、進軍は再開される。
鬱蒼とした森の中なのでエリシアは速度を落としつつ、こまめに地図上の現在地を確認しながら進む。
そして唐突に、そのエリシアの足が止まった。
最後尾のユーリはルーミアと共に、地図をジッと見るエリシアの傍に行く。
「どうしたエリシア?」
「うん。地図上だと現在地はここで、まだもう少し森が続くんだけど……見て」
「え? あっ」
エリシアの指さした先は森が途切れており、緩やかな丘陵が広がっていた。
「アッセンド丘陵に出たのか?」
「そんな方向には歩いていないもの。それにあそこに見えるのって……」
丘陵の頂点辺りに、鋭利な塔のようなものが見える。それは基地でも良く見かける様式の建物。
「あれは……教会か?」
「どう見ても……そうよね」
「うん、あれは教会」
セルフィリアで見かける、それはマールセルフィリア正教様式の教会の姿だった。
三人は森の切れ目に近い茂みに身を寄せ、その様子を見る。
「ここ、一応は帝国の支配圏内よね? どうしてそこに正教の教会が?」
エリシアの視線の先にはルーミアがいるが、本人はその問いに答えるどころか、首を傾げた。
「うーん、ルーミアも知らないとなると……罠か?」
「罠って……まさか教会を建ててわたしたちをおびき寄せようって? ここ、そんなに重要な拠点?」
「う、たしかに……」
ユーリが痛いところを突かれていると、ルーミアは立ち上がり教会を指さした。
「良く見てみて。あの教会、朽ちた感じもないし。きちんと機能していそう」
「確かにそうだけど……」
「どうする、エリシア? もし教会なら服も乾かせるな」
「そうなんだけど……」
エリシアは判断に迷っていた。本物の教会ならば何の問題もないのだが、罠だとすると全員に危険が及んでしまう可能性が高い。
単身様子を見に近づいてみるべきかどうするか。隊長としての判断が必要な場面となり、ユーリもルーミアも、エリシアに視線が行く。
空気が緊張を持っていた。
その時。
「あのぅ、ここでどうされましたか?」
不意に三人の前に、声をかける人影が現れた。
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