【プロローグ】
「はぁ……はぁ……これで……全部かっ、くそ」
ユーリは両手の剣を鞘に収めることなく地面に突き立て、返り血のかかっていない肘辺りで額から流れる汗をぬぐった。
腰の裏の水筒に手を伸ばしたが、とっくに空っぽになっていたことを思い出す。
「ったく……殿(しんがり)なんかやらせやがって。おかげでほぼ全滅じゃないか」
愚痴をこぼしつつ周囲を警戒する――が、こちらに被害を与えるような存在はないようだ。
すると、パァーンという銃声が響いたので視線はそちらへと持って行かれる。
「お」
どさりと倒れる、鈍色の鎧を着た帝国のゴブリン兵。
撃ったのはエリシアだった。
「お見事、エリシア」
「何がお見事よ。そっちは?」
「見ての通り片付いてるよ」
ユーリが手を広げてみせると、そこには死屍累々、ゴブリン兵の死骸の山が築かれていた。数にして一〇〇に達しそうなほどの。
ユーリは二本の剣を引き抜き、それぞれを鞘に収めつつエリシアに近づく。エリシアも長銃を下ろし、背負う。
「正規軍はもうとっくに安全圏まで下がってるだろ」
「そうだと良いけど」
「追撃部隊、ほとんどふたりでやったな」
「うん。怪我とかなかった? 平気?」
「エリシアの方こそ」
「わたしは平気。あなたと違って魔法も銃も使えるし。って、左肩、怪我してるじゃない。見せて」
「これくらい平気だって」
「いいから。ゴブリン風邪だって流行ったでしょ」
エリシアはユーリに駆け寄ると、腰裏の雑嚢から取り出した消毒液と包帯で速やかに手当を始めた。
「隊長自らありがとうな、エリシア」
「もう、こういう時だけ隊長?」
「どうも堅苦しいのは苦手で」
「一応、戻ったら立場をわきまえてよ?」
「わかってる。じゃあせめてここでくらいは――」
「ユ、ユーリ?」
ユーリの手がすっと、自分の腕に包帯を巻いているエリシアの腰に伸びる。
エリシアは急にユーリに近づかれたので、思わずどきりと身構えてしまう。
「これをもらうよ」
「……す、水筒?」
「ああ。俺の、もう空になっちゃって。お、さすがエリシア。まだ半分くらい残ってる。少しもらうよ」
「……もう。気を抜きすぎ。こんなの他の部隊に見られたらわたしの格好もつかないし、エネスギア人に見られたら大変よ?」
「だから見られないように、だろう? ほら、エリシアも飲んでおけよ」
「う、うん」
エリシアは包帯から手が離せないので、ユーリが飲み口を彼女の口へ運ぶ。
――もう長い付き合いになる幼なじみの二人。
「ん、んー」
飲み口を付けたままエリシアが首を振る。
「もういいのか?」
「そんなに飲めないわよ。それにまだ帰るまで何があるかわからないでしょ。補給だって受けられないかも知れないんだもの。節約」
「そうだな……まったく」
ユーリは思う。
自分たちはセルフィリア共和国騎士団の兵。一方的な侵攻を開始したゾディア帝国と戦っている。
しかし本当の敵は誰だろうか、と。
エネスギア人という友愛を説く種族に統治されたセルフィリア共和国は、その実苛烈な差別が蔓延する。
ユーリたち人間の兵や部隊は文字通り捨て駒のように扱われることが多い。
「今回もキツい任務だったな」
「いつも、でしょ。はい、これで良し。戻ったらちゃんとした薬を塗るから、綺麗にしておいてね」
「わかった。ありがろうエリシア。いや、ヴァイツ隊長」
ユーリはそう言い、エリシアに敬礼を見せた。すると、エリシアは笑う。
「ふふ、ユーリの敬礼っていつ見ても慣れない」
「笑うことはないだろうが」
同郷の幼なじみのユーリとエリシア。
ふたりはとある、同じ夢を見て王都へとやってきた。そこで軍学校へと入り、厳しい課程と訓練を経て実戦部隊へと配属されたのだが、ここでの扱いも厳しいものだった。
任務は捨て駒。補給もまともに受けられず、補充の兵も回されない。
だが、それでも――。
「それでも」
「え?」
思わず、ユーリは唯一の同志である気の置けない、信頼できる相棒とも呼べるエリシアの肩に手を置く。
「それでも、何度でも、生きて帰ろう。そして夢を叶えるぞ、エリシア」
「う、うん……もちろんよ、ユーリ……」
エリシアも、そのユーリの手にそっと自分の手を重ねる。
ふたりが放置された最前線から最寄りの前線キャンプまで、およそ歩いて丸一日を費やす状態になっている。
セルフィリア共和国は今、その国民の知らぬところで大いなる劣勢に立たされているのであった。
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